そして、また小屋から歩くこと二十分。
「臭うな……」
「あ、ばれた?」
「お前かっ!?」
「いや、これは本物のほうも混じってるぞ」
言って、茂雄が指差した。
まばらに生えている針葉樹の向こうに、すこし黄色がかった場所があった。
「あれはそのままの硫黄だな。この周辺がガスの発生区域なんだろう」
「じゃ、作業場はこの近くですか?」
「おう。こっちだ」
そこからは道を外れて、斜面をゆっくり下る。
なだらかな斜面ではあるが、言うまでもなく雪で滑りやすいので慎重だ。
すると、前方に溝のような部分が見えてきた。
木の杭が何本か立っており、周辺に人の手が加わっていることがうかがえた。
「少し場所がずれたな。この用水路の一番上だ」
ここを流れるのは、水ではあるが高熱の水だろう。
少し上がっていくと、あきらかに他のところと違う様子が雪の上からでもわかった。
ここが問題の土砂崩れのあった場所なんだろう。
「博人、お前の持っている荷物よこせ」
「え? はい」
旅館をでるときに渡されたリュックだった。重さは結構あったが、宗也なんかはさらに重そうな代物を背負っていたのであまり意識はしなかった。
自分より明らかに重いのを目の前で持っているのを見ると、自分の物の重さなんて意識しなくなってしまうものだ。
「あ、そっと置けよ。そっと」
「割れ物でも入ってるんですか?」
「いや、そうじゃない。割れ物をこんな場面で使うと思うか?」
荷物をゆっくりと地面に置く。
ごそごそと中身を確認し……
「参ったな……。どれを使うべきかわからんぞ」
「何が入って…」
「見ないほうがいいぞ」
すぐにリュックの開け口を閉められた。
「とりあえず、状態を見てみるか。軽くでいい、周りの雪をどかしてくれ」
さっそく、シャベルと一輪の共同作業で雪をどけ始める。
雪捨て三往復程度で、だいたいの雪は取り除いた。運ぶのではなくて、どかすだけだから比較的楽だ。
ざっと見、どうやら右手のほうから流れてきた土砂がこの溝に貯まっているようだった。
流れ出た土砂はそのまま左手に続き、谷底に流れ落ちたようだ。
「よし、それじゃ真ん中に穴を開けてくれ。周りはあとでいい。狭く深くな」
「なんでですか?」
「爆破するから」
手になにやら紙か何かに包まれた四角いものを持って言った。
隙間から少し中身が見える。
なにかで見た気がする。
あれは多分、プラスチック爆弾だ。
誰が入れたかは予測がつく。多分あのリュックの中には……
想像して、背筋がゾクっときた。やめよう。
自分が背負ってきたのはリュックだ。中身など知ったことではない。
そう思いつつも、帰りは別の荷物のほうがよかった。
「ここで使うには勿体無い気もするが、まともな爆薬はこれしかなかったからな。まさか対人手榴弾で爆破するわけにもいかないだろ」
ちなみに対人手榴弾は、本来の爆発力のみではなく、内部にくぎや鉄片を入れて対人攻撃力を強化した代物である。
人体にはかなりのダメージを与えるが、装甲などに対しては全く無意味だ。
「にしても、こんな所で爆弾なんかつかって雪崩とか土砂災害は大丈夫なんですか?」
「雪崩はここじゃおきねぇ。土砂崩れのあとで崩れるほどの雪が積もりづらくなっているからな。土砂に関しては一回流れたところだ、崩れても同じコースだろうから俺たちまで被害は来ないだろう」
そう楽観していいものだろうか?
だが、山なれしているのは茂雄である。気にしてもしょうがあるまい。
「それじゃ、穴掘りしますか……」
ため息をつきつつ、四人は作業を再開した。

「爆破5秒前、4、3、2、1、点火!」
プラスチック爆弾に埋め込まれた信管に火が入る。
次の瞬間、轟音が地面を揺るがした。
距離はそれなりにとっていたが、衝撃波も体で感じられる凄まじさだった。
「あっちゃ〜……強すぎたかな?」
爆発で溝が潰れてしまっては意味が無い。煙の上がるその場所に駆け寄る。
「おっ! なんとかギリギリだな」
わずかな土を内側に残して、上の端が焦げた杭が見えた。
このまま杭が崩れたら、多分補修作業もやらされただろう。
思わず、ほっと一息をつく
「ほれ! 土を退けるぞ! 上手く行けばそろそろ湯が出てくるはずだ」
他のより一回りでかいシャベルを振り上げて言った。
「単調な作業か……」

そして、続けること三十分。
「叔父さん、地面がぬかるんできた」
「お? そろそろだな。噴き出すかもしれないから気をつけろよ!」
言って再びシャベルを地面に突き刺す。
そのとたん、熱湯が噴き出した。
「おわっ!? 危ねぇな」
飛びのく。全員が溝の外に一旦脱出した。
「よし、あとは簡単な整備だけだ。あ、言い忘れてたがここの熱湯は濃度は低いが硫酸だから迂闊に触れないように」
「りゅ、硫酸なんですか?」
「言ったろ? ここは硫黄ガスが立ち込めるような場所だ、ってよ」
そうまで言われると、湯気まで危ない気がしてくる。
無論、そんなことは無いだろうが……。
「おら、さぼってんじゃねえ」
背中を叩かれて、博人は急いで作業に戻った。

一通り終わった頃には、すでに周囲が赤く染まっていた。
「冬の日は短いな。だからこそ、秋・冬は月がえる。そう悪くはないな」
宗也が呟く。
「お前な、この最後のこれをどうするかを考えねえのか?」
次郎がヘトヘトの声でそれを指差した。
巨大な岩。これが邪魔なのである。
湯が噴き出している今、もうあまりすることは無いような気もするが、この岩は邪魔だった。溝にはまっていて、半分近くを埋めていた。
「それじゃ、砕くか」
こともなげに疾が言った。
「く、砕くって!?」
「んなもん単純だ。タイミングを合わせて両側から衝撃を加えてやれば、二つに割れるか粉々になるかのどちらかだ」
もちろん、その理論はわかる。威力と硬さが足りれば見事に砕け散るだろう。
だが……
「人間の力でできるもんなのか……? これが……」
次郎がつぶやく。
「俺はできる。あとは対等な力を発揮できる相手がいればいい」
「なら、やって見せるしかないな」
宗也が手袋を放り出した。
「す、素手で?」
「博人君、格闘家が道具に頼ったら十分な力は発揮できないのだよ」
「あたりまえだ。徒手空拳こそが全ての武術の基本。こいつとこれをぶち壊すのはあんまりいい気はしないが」
二人が岩の横に回り込んだ。
足元の温水の中にもろに突っ込まないように気をつけながら構えた。
「博人、カウントダウンしろ」
疾がぶっきらぼうに言った。
「えっと……」
二人とも顔がすでに真剣だった。その眼は岩の一点しか見ておらず、耳だけが向けられている状態に過ぎない。余計なことを言っても返事は返ってきそうになかった。
「十、九、八、七……」
茂雄が驚きの声を漏らす。
素人の博人にもわかった。二人がどんな状態にあるか。空気が比喩ではなく、ピリピリした感じだ。張りつめていて、いつ爆発してもおかしくない感じだった。
「四、三、二、一、ゼロ!」
二つの拳が唸りをあげた。
硬いもの同士がぶつかりあう音が響く。
そして……
二人は同時にそこからひいた。
二人とも後ろを向いてしまい、表情もわからない。
「どうでした?」
博人が宗也の顔を覗き込むと……
涙目で拳に息を吹きかけていた。
思わずバランスを崩してコケそうになった。
「や、やっぱりキツイ」
「……だな……」
こっちも何かをこらえるような声で言った。
「ったくも〜、できねえなら偉そうに言うんじゃねえよ」
「誰が失敗したと言った?」
「え?」
振り向く。岩に大きく亀裂が入っていた。ミシミシと音が鳴っている。
だんだんヒビが全体に広がっていく。
「っておい……マジかよ……」
ゆっくりと、だが着実に侵食していく。
そして……
ゆっくりと岩は崩壊した。
「ま、ざっとこんなもんよ」
「当然だな」
唖然とするしかなかった。
重量にしたら、そこらへんのトラックより重いんじゃないだろうか。
そんな岩をこの二人は粉砕してしまったのである。
「『気』を使いこなせばこのぐらいの芸当、どうってことねえはずだ。まだまだ未熟な証拠だぞ、二人とも」
あれで未熟などと呼べるのだろうか? すでに人智を超えていた。
どう考えても、人間の骨のほうが弱いだろう。だが、二人とも痛がってはいても、拳を壊した様子はなかった。
「テレビとかで中国拳法の達人とか見たことあるけど、あれって本当だったんだなぁ……」
「素直に感心できるのがうらやましいぞ。ボキには化け物にしか見えない……」
二人でなんか遠くを見ていた。沈みかけの夕日がその日最後の炎を雪に照りだしている。
「さ、撤収だ。小屋に引き返すぞ」
茂雄が二人の肩を叩いて、ようやく現実に引き戻された。
あらためて砕けた巨岩に近づいてみてみると、拳の当たったところではなくて、内部から破裂したような感じだった。
無言で片付けを続ける。日が暮れる頃には、片付けは全て終わっていた。

小屋に帰るまではあまり喋らなかったと思う。
だが、小屋に帰ってから、博人はいろいろと質問した。
驚きのあまり、無邪気になっていたのだろう。
ここ数年で一番興奮してたはずだ。
「二人ともいつ頃から格闘やってるんですか?」
「俺は小学校に入ったときだな。喧嘩で勝ったんだが、相手を怪我させてな。親父が「狙うならしっかりと狙え。外すときは外すし、当てるときは当てる。わかんないんだったら俺が教えてやる」その言葉が一番最初だったかな?」
「へぇーー」
「親父に習ってたのは小学校卒業するまでだ。あとは親父の知り合いのところで教わってた。高校三年ぐらいからは完全に独学だな」
「疾は?」
「生まれたときから俺は家の後継ぎで、格闘家だ。そういう家だからな」
そっけなく言う。
「そういう家も未だにあるのか……」
「まだまだ昔の慣習にとらわれている人間なんていくらでもいるだろ。俺の場合は、最初からそうだったし、自分でも格闘が好きで納得してたからあんまり問題は無かったけどな」
しばらくそういう話をしていた。
そして、三十分ぐらいして。
「そろそろ出るぞ。途中、ちょっと一箇所寄ってくからな」
身支度に時間はかからなかった。

博人はいろいろと考えていた。
小屋を出て、寒い空気のせいか、それとも時間がたったせいか、興奮が収まるにつれ考え事が次から次へと浮かんできた。
すごい人間がいたもんだ。しかも、二人とも幼い頃から身に付けてきた技術だ。
自分には特に特技もなければ、趣味もない。
だから、羨ましかった。
自分の夢。特に無い。探したこともろくに無かった。
そんな自分が。
何かをしたいと思うようになってきた。具体的にはわからない。
わからないけど、居ても立ってもいられないような気分になってきた。
それを言葉に上手く表現するにもできないが、今まで自分とはほとんど無縁だったものだと思う。
考えながら五人の最後尾を博人はついていってた。
唐突に言葉が降ってきた。湧いて出た、って感じじゃない。
まだ、間に合う。センター試験も願書も、まだ間に合う。
専門学校だって今から受けることはできる。
今までだって、惰性だせいかもしれないが勉強してたのだ。
……だが。
自分の決意をさえぎるものがあった。
決意を決めたら、今やるしかない。
だが……まだ未練みたいなものがあった。
もうちょっとだけ。
そう思う。
不意に、考えるのが面倒になってきた。
あとで考えることにしよう。そう、自分に言い聞かせて、博人は前を見た。
満月が輝いていた。

「もうそろそろだ。今年はまだ不十分かもしれんな」
「何がですか?」
「まぁ、つけばわかる。そこの溝、ちゃんと流れてるだろ?」
さっき土砂の掘り出し作業をした場所を通り、溝にそって道を歩いていた。
あふれた温泉が溝をとおって流れている。湯気があたりを覆い、視界がぼやけている。
「もう見えたぞ。この位置からじゃよくわかんねえと思うからついてこい」
月明かりと、先頭の茂雄がもつライトが光源となって、水面を照らし、反射した光が揺らめいている。
「ライト消すぞ、足元に気をつけろ」
「え? なんで?」
「見りゃわかるって言ってんだろ。消すぞ」
一気に暗くなった。だが、満月で晴れ渡っているので足元にはぜんぜん不自由は無い。
茂雄が一角を指差した。
そっちに視線を移す。
泉だった。とはいっても、上から流れてきた湯がもとなので、相変わらず湯気が充満している。
その中心に柱があった。湯気のせいでよくわからないが、柱のような垂直に立ったもの。
徐々に湯気がおさまってきた。温度の変化だろう。湯気がこれだけあると、周りの空気との対流ができて温度が上がったり下がったりするはずだ。
そして、柱の全容が見えた。
「氷の……柱?」
「いや、雪だ」
月の光が雪の柱を照らしていた。
湯気が立ち上る。今回は、奥のほうだけで、柱はよく見える状態のままだ。
水面で反射した光が、雪の柱に波模様を添える。
湯気が白いスクリーンとなって、柱の影を映す。
これ以上ないぐらいに幻想的な風景だった。
「あ、いたいた! みんな〜」
微妙にタイミングが悪かった。
別にここに来ていたことに今さら驚いたりはしない。
だけど幻想的な光景で感動した瞬間を狙って声をかけなくてもいいのに。
由香子はそんなことは露知らず、言った。
「ここ、すごいよねぇ〜。いやぁ、大自然の作り出した芸術よね〜」
「ここの溝って、用水路みたいに手を加えられているんだけど……」
「でも自然を利用したにしても、それはそれでこの自然の偉大さがあるってもんじゃない」
「由香、静かに」
「あ、ごめんごめん。みんな、まだ存分に見てないのね。じゃ、私たちは……」
自分達の持ってきたバッグから魔法瓶を取り出した。
暗い中、二人で手分けして全員分の茶を紙コップについだ。
「はいはいはい、ちょっと一服つきませんかみなさ〜ん」
「こんなところだけど、せっかくだから温かい飲み物が欲しいでしょ?」
「お、サンキュー」
「どーもどーも」
「どうもです」
それぞれが、その光景に見入っていた。
雪の柱……旅館『雪柱』はここからとったものだった。
満月など、月の明るい晴れた夜の日にしか見れない。
そんな特別な光景。
長いこと、誰もが話さなかったと思う。
最後に、宗也が言った。
「幻想的で不思議な光景って、人を感動させるな」
その言葉のあとは、誰が最初に言い出すでもなく、足は旅館へと向かっていった。

7/8

前のページへ 次のページへ
戻る