とりあえず、割り振られた部屋に来た博人は大あくびをしていた。
宗也と次郎は隣の部屋だ。それほど声は伝わってきてないが、多分うるさくしているのだろう。
「今のうちに、露天風呂に浸かっちゃうか」
そう呟いて、着替えを持って部屋を後にする。
当然ながら他の客はいない。
宗也によると、サークルの後輩が来るらしいが、まだ到着してなかった。
旅館の構造はあまり複雑なものではなく、大体最短ルートで脱衣所にたどりつけた。
服を脱ぐと、露天風呂に急ぐ。ちょっと距離があるようだった。
赤く染まった森を横目に、白い息を吐きながら湯気の立ち上る温泉に急ぐ。
湯を体にかけて、すぐ入る。体がほぐれるような気分になった。
「はぁ〜……極楽天国」
思わず呟く。そんなセリフを吐く自分の歳を疑いたくなったが、気にしないことにいした。
「気に入ってくれたか、少年よ」
思わず動きが固まるほど驚く。誰もいないと思っていた。
振り返ると、湯気の向こうに黒い影が見えた。
聞いたことの無い声だ。他に客はいないというから……
「あの……」
「ん、俺か? 俺は阿部茂雄、この旅館のヌシってとこだ。お前はよ?」
「宗也さんと一緒に来ました」
余計な説明が面倒になりそうなのでそう言っておいた。
「お? 宗也のやつ、もう来てんのか。じゃ、顔ぐらいださねえとな。どのみち後で会うだろうけどよ」
そういうと同時に、遠くから足音が聞こえてきた。しかも、片方は駆け足だ。
「うをおおおお、温泉〜〜〜!!」
真っ直線に飛び込んでくる。博人は急いで横に動いた。
だが、のんびりと浸かっていた茂雄はそうは行かなかった。
ザッパーンと、派手な音をたてて次郎は着水した。
「いやぁ〜……極楽天国」
予想外にも仲間がいたが、別に仲間でなかったほうが嬉しいような気もしないでもない。
「なんか、さっき人影が見えたような気がするんだが?」
「えっと……」
とりあえず、なんとか答えようとするが言葉がでてこない。
すると…
「うおおりゃっ!!」
次郎が空中に投げ出された。
「をわあああああ」
またしても盛大な水飛沫と音をたてる次郎。
「このガキャ……どういうつもりだゴルァ!」
「だ、誰!?」
「茂雄叔父さん」
「てめぇ・・・…覚悟はできてるんだろうな?」
ずいっと一歩踏み出す。次郎が一歩後ずさる。
次の瞬間、次郎は弾けたように逃げ出した。
「待ちやがれっ!」
「嫌なこった!」
全裸の鬼ごっこが始まった。
「この寒いのによくやるな……」
「あの……二人を止めなくていいんですか?」
「ああ、大丈夫だって。次郎は足速いし、茂雄叔父さんは酒入らないと駄目だから」
駄目というのがどういう意味なのか気になったが、止める必要がないと仲介人が言っているので博人はとりあえず観戦していることにした。
そして二人はたっぷり五分雪の中を走り回った後、ついに耐え切れなくなってお湯の中に戻ってきた。

温泉を上がった後、茂雄を除く三人はロビーに向かった。
和風旅館なので、なんとか間とかいうのだろうが、別に気にすることもなかった。
「んでよ、その後輩たちってのはいつ来るんだ?」
「予定では、もうとっくについているはずなんだがな。道にでも迷ったんだろ」
その通りだったりする。
「可愛い子だよな? そうだろうな?」
「お前なぁ、あくまでそれが目的でついて来たのか?」
呆れた声で宗也が応じる。
少なくとも博人には、次郎としてはこれ以外の理由は必要ないような気がした。
「ま、見て判断すりゃいいだろ」
「そ、そりゃそうだけどよぉ。なんっていうか、ちょっとは期待とか持たせさせてくれよ」
「俺に判断しろと? ……俺にはわからんのだがな」
「つまらねぇなぁ」
そんな話をしていると、ガラガラっという引き戸が開けられる音がした。
そして……
「すいませ〜ん」
残った気力を振り絞って出したような声が聞こえてきた。

空はすでに闇の色を帯びてきて、すでに気温は氷点下をずいぶん下回っている。
そんな状態で、三人はようやくたどり着くことができた。
「はぁ……助かった……。凍死するかと思ったよぉ……」
由香子が声を張り上げてから呟いた。後ろでは、
「本当、シャレになってなかったな」
「誰のせいよ、誰の」
「へいへい……わかってますよ、お姉様。俺が悪うございました」
「ったく、本当に反省の色が無い……」
雪まみれの靴を脱いで、スリッパに履き替える。
同時に、内側の引き戸が開いた。
「お疲れ様、三人とも」
背が高いので、戸の向こう側からかがみこんだ状態で声をかける。
「あ、長谷川先輩! 雪山の中とは聞いてましたけど、外異常に寒いですよ!」
「この時期だし、ここではしょうがないんだろうよ」
そこに、綾菜が顔を出す。
「こんにちは。とりあえず、中へどうぞ。宗也君、ちょっと……」
宗也のどでかい図体が戸をふさいでいるため、互いに半分しか見えない状態だった。
「あ、すいません」
宗也がどくと、楓が顔を出してきた。
「こんにちは。えっと、確か長谷川先輩の……」
「叔母になります。阿部綾菜と申します。当旅館の女将をやってますので、なにかございましたら気軽に声をかけてくださいね」
「はい、お世話になります」
「手伝ってもらいますから、お互い様ですよ。もう少ししたら夕食ができますので、このあたりでお待ちしててください。あ、部屋に行く必要があるなら……」
「いえ、まだいいです」
「そうですか。それでは」
言って、急ぎ足で奥に去っていった。
綾菜以外はそのままロビーに居つく。
「とりあえず、日が暮れる前について良かったな。ここは結構遭難者もでるそうだし」
「マジっスか……」
心底疲れた顔でうめく由香子。
「この季節はさすがに夜危なくなるんだろう。ここまではまだ道がわかりやすいほうだけど、昔この上のほうに行ったときは本当に道がどこだかわからなくなったぞ」
「…なんか凄まじい所だな……」
博人も、昼間ではあったが一人だったためか、結構身の危険を感じてしまうほどの寒さだった。
「それでも、これから時期はまた人が増えるらしいんだ。そのあたりの詳しいことは聞いてないけど……」
そこで奥から声がかかった
「宗也君、ちょっと運ぶの手伝ってくれませんか?」
「あ、はい」
「綾菜さぁ〜ん、次郎も参りまぁ〜す」
妙な声をだして、次郎がついていく。
「もしかして、あれが噂の……?」
「え? やっぱりあれがそうなの?」
楓と由香子がヒソヒソ話を始め、博人は取り残された。
いや、疾がいる。 が、なんだかストーブにあたってボーっとしているので声をかけづらかった。
「僕も手伝います」
結局、博人もその場を立った。

食事を始めてしばし、とりあえず自己紹介をすることになった
「水瀬由香子、大学一年でぇす。とりあえず腹ごしらえが先なのでこれぐらいで〜」
「真田楓です。由香と同じ大学一年。よろしくお願いします」
「真田疾、高一。以上」
だんだん愛想がなくなっていく自己紹介。
それが三人の性格をそのまま表しているんだろうな、と博人は思う。
そして…
「ボキは…」
「お前はいいから」
この二人もボケツッコミで完結しているような気がする。
「それで先輩、一つ気になってたんですけど……」
「ん?」
「今回のコレって、合宿を兼ねているんじゃないかって言う話が……」
「さぁ、どうだろうかねぇ」
「ほらほら、白状しちゃいなさいよぉ〜」
由香子が顔を赤くして言いながらすりよってくる。
見ると、どこから持ってきたのか、その左手にはすでに一升瓶いっしょうびんが握られていた。
「そうだそうだ、話しちまえよ宗也」
こちらも赤い顔をした中年。あきらかに由香子に酒を与えた犯人だった。
「どうだ、久しぶりに手合わせしねえか? 最近、相手がいなくてよぉ」
「たまには街に出ればいいじゃないですか」
「そう簡単に言うがな、ここから大きな街に行くとなると結構大変なんだぞ」
「そうなんですか? 近くの街は……」
「たいした街なんざねぇよ。ほれ、さっさと始めんぞ」
「今ですか? あんまり気乗りしないんですけど」
「じゃ、先輩! 私が行きま〜す」
すでに酒でハイになっている由香子が手を挙げる。
「長谷川先輩から聞いてます。手合わせ、お願いします」
「俺の相手になれんのか? ま、いいや。やろうぜ」
先程から具体的に何をするか言ってないのだが、二人の間では合意ができている。
博人が不思議がっていると、由香子が棒を取り出した。
いや、ただの棒ではない。長さ二メートルはあろうかと言う、六角の棒。
中国でもっとも古い武具の一つ。断面が六角形のこれは『六角棍』と呼ばれる。

あっという間だった。
二人が食事している場所から離れた、段差の向こうに行くと、激しい攻防が始まった。
由香子が棍を振り回し、それを茂雄が流れる動作でかわす。
次の一撃を由香子が放つと、今度はそれを跳んでかわす。
茂雄が攻撃に出ようとすると、棍を振るってその動作をはじく。
「いい筋だ。だが、まだまだ甘いな」
コメントともに、床をこするような低い蹴りが入る。
すれすれでかわすが、バランスを崩す。
「くっ!」
苦し紛れのはらい上げで間合いを取ろうとするが、あっけなくよけられる。
しかし、茂雄は攻撃せず、あえて間合いを外した。
自分の間合いの外で、かつ由香子の間合いである位置に。
「おら、来いよ。得意技をだしてみろ。実力の差ってものを教えてやる」
しばらく、双方とも静止し……
由香子が動き出す。前傾姿勢で、真横にぐ。
それをかわし、攻撃をしようとした茂雄の目の前で……由香子の姿が消えた。
棍を棒高跳びのように使い、一気に上昇。背面に回りこみ必殺の蹴りを……
「やるじゃねえか。五十点だ」
体が急激に重くなり、そして不意に重さを感じなくなった。
上を向いているらしく、天井がやけに近くに見えた。

気が付けば、由香子は倒れてた。
背中を打ちつけたらしく、呼吸も苦しい。
「受身も完全じゃないな。長生きできねぇぜ」
茂雄が最後にコメントを述べる。
そしてそのまま、戻ってきてまた酒を飲み始めた。

「な、何だったんだ今のは……?」
呆然と、博人が呟く
「そうか。博人君には教えてなかったな」
「何を……ですか…?」
「うちのサークルの名前さ」
「はぁ……」
「かつては、本当に調べたりするだけだったらしいんだけどね。いつのまにか本当に使う側になっていたらしい」
そこで言葉を区切る
「そんなわけで今のうちのサークルは皆、格闘技の使い手。だから、本当はそろそろ名前がふさわしくないような気もしないでもないけど、やってる内容は大きく変わらないからいいのかもしれない」
「勿体ぶった前置きはいいからさっさと言っちまえよ」
次郎が面倒そうに言う。
「あ、こいつはメンバー外な。うちのサークルは通称「格技研」。正式名称は格闘技術研究部。ようは、格闘好きのサークルさ」
「あ、私は格闘好きってわけじゃないですよ。言っておきますけど」
楓が口を挟む。
「いいじゃな〜い、別に細かい事はさぁ〜」
と、これは由香子。いつの間にか復活している。
「まぁ、そういうわけだ。それで叔父さんは昔、酔拳で世界を渡り歩いたという…」
「違う違う。ダンサーだ、ダンサー」
「……とりあえず、格闘技もかなりのレベルなのさ」
「はぁ……」
今さらながらに、博人は思う。
とんでもないところに来てしまった。

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