「潮時かな」
明日あたりが最後だろう。
結局、綾菜は現れなかったが仕方あるまい。
日本に戻るのはやめた。
日本はどうせつまらない。行くなら、誕生日を迎えてからにする。
もしかしたら、その後は別の道を歩むかもしれない。それを考えた上でも、まだ行く気にはならなかった。
次はメキシコだ。近いのがいい。
それにそっからであれば、アフリカが近い。そして自分を受け入れてくれた部族に会いに行く。
そこで暮らすのもいいかもしれない。いや、都会慣れした自分には無理か。
そう考えて寝る。
起きたのは八時。ちょっと遅いかもしれない、がたまにはあることだと、自分に言う。
ロビーに下りて新聞を読む。
アメリカも日本も不況らしい。自分には関係ないが。
だが、だからこそ娯楽が必要な時なのかもしれない。
まだ、引退は早いか? 引退しても食いつなぐ道はあるにはあるが、今までを考えると……
不意に気づいた。
綾菜に言った自分のセリフ
「今までの生活を捨てなければならない」
その、自分が今はもう生活を捨てられる勇気を持ってないのではないだろうか。
このまま、まだダンスで渡り歩く生活を続けることに意味もなく頑張っているのではないだろうか。
志もすでにない。生活を変えてはならないような理由は、特に無い。
迷いが少しずつ、もたげてきた。
どうすればいい? このまま続けるのか、俺は。
その時頭上から声が聞こえた。
「茂雄さん、おはようございます」
見上げると、いつかのように、気づかぬうちに彼女はいた。
その声を待っていた
「おはよう」
顔を上げずに返事を返す。
「私、決めました」
「ああ」
「ついていきます。迷惑はかけません」
「ついてくるの自体、迷惑だとは考えなかったのか?」
綾菜が怯んだ。
今までは見せたことの無い表情。
自分は酷い事を言ったのかもしれない。
それは、自覚もあった。
だが……
「迷惑……ですか?」
「迷惑じゃないわけ無いだろう?」
…沈黙。
わかっている。
綾菜が変わろうとしている。きっと自分を見たからだろう。
自分も、きっと、変わろうとしている。
「迷惑がかからないわけがない。それでも、ついてきたいか?」
「………」
「お前の意思を聞いてるんだ。俺にとっては確かにお荷物になる。多少、邪険にするかもしれない。それでも、ついて来たいのか?」
「………」
顔をあげてみる。
綾菜が唇を噛んでいた。
暗くて見えないが……きっと泣くのを我慢しているんだろう。
おしとやかで、一見すればそんな表情をする女性に見えなくも無い。
だが、あの綾菜なのだ。
いつも微笑んでいるのに、度胸が凄くあって、冷たいツッコミも容赦なく入れる。
今までの人生で何度泣いた事があるのだろう?
一人で多く泣いていたのかもしれないし、決して泣いてないのかもしれない。
だが、泣くことに間違いなく抵抗を覚えているはずだ。
「綾菜」
呼んだ。
「…はい」
「ついてきたいか?」
「………ついて、行きたいです」
「俺は、うしろなんか振り返んないぞ」
「絶対に遅れません」
「つらいぞ」
「大丈夫です」
「野宿も多いぞ」
「サバイバルは慣れてます」
………
「どうしても、ついてきたいんだな?」
「はい」
ため息をつく。
嫌でため息をついているわけではない。
ほっとしていた。
綾菜の決意は固い。
それならば、連れて行ってもいい。
自分も本当は一緒に行くことを望んでいるのだから……
「よし、わかった」
「え……?」
「行こう、一緒に」
「……いいんですか?」
「男に二言は無い」
実際は結構あるが。
「お前ならいいパートナーになりそうだ」
「ダンスなんてできませんよ」
「そういう意味で言ってんじゃない」
茂雄は苦笑した。
こいつはどういう意味で自分について行きたいといっているんだろう?
きっと、単に仲間として一緒に行きたいだけで、茂雄自身に興味を持ってないのではないだろうか?
それとも……
「なぁ……その……」
「はい…?」
「えっと…おぅ、そういや仕事は? あんまりぱっとやめれる職業でもねぇんじゃねぇか?」
「大丈夫です。私、まだそんなに階級高く無かったですし。いざとなればいろんな手があるんですよ」
例えば? と聞こうとして怖くなってやめた。
なんかやばそうな気配がして、聞かないほうがいいと自分を説得した。
「茂雄さん、今日は?」
「予定なんかは入ってないな。出発は明日あたりにしようと思ってたところだ」
「じゃ、ぎりぎりセーフですね。よかった」
綾菜の笑顔が眩しかった。

「どこを回るんです?」
「最終日だからな、今日は仕事しねえでのんびりいくさ」
「そうですか。でも残念です、私まだ茂雄さんのダンス見てないし……」
「そのうち見飽きるぜ」
「ふふふ、そうですね」
普段から、最終日はいい加減だった。
仕事をいつもしないわけでもないが、する時も大抵その場を盛り上げるのが目的だった。
最近は酒場に行くのが通例になっているが、別段どうでもよかった。
「私はワシントンには結構来るんですよ。首都だけあって、郊外の基地も結構設備が整ってるんですよ」
「それはやめたんだろ?」
「でも、趣味は趣味ですよ。私のコレクション、実家のほうに送りつけておきましたから、今度日本に帰ったときに見せますよ」
日本。茂雄はその言葉に反応した。
昨日、綾菜に会う直前に考えていたこと。
今はその考えを封印しようと思うのだが、なかなか念頭から消えてくれない。
「茂雄さん?」
「お、おう」
「どうしたんですか?」
「ちょっと思い出したことがあってな。気にすんな」
「気になります。茂雄さん、単に思い出したというより考え込んでませんでしたか?」
「そう見えたか?」
「はい」
言いたくなかった。
綾菜の気持ちに反することかもしれないからだ。
世界を旅する自分に憧れて飛び出してきた綾菜。
だが、その自分が実はもう、旅をやめようと考えていたら?
「……そのうち、話すさ」
「そのうち、ですか……」
綾菜が悲しげに目を伏せた。
「今、考えていることなんでしょう? 嫌なら、いいです。でも遠慮はしないでくださいね」
「あ……ああ…」
心を見透かされた感じだった。
ふと、相談してみたい誘惑にかられた。
しかし……言えばきっと綾菜が悲しむ。それを考えると言い出せなかった。

半日街を回った。必要な物資の補充をして、あとは適当に観光やら遊びやら。
「食料の補充はしなくていいんですか?」
「基本的に現地調達にしている。保存食はカップ麺以外は嫌いでな」
「ということは、狩猟とかも?」
「することもあるな。一度、虎をぶち倒して動物保護団体に追い掛け回された」
「素手ですか?」
「当然」
時折、つぶて程度は使うこともある。
鳥にはさすがに拳が届かない。
「そういえば、部屋は取ったか?」
「いえ。できる限りお金は節約しなければならないでしょう? 茂雄さんの部屋に泊まろうと思って」
「おいおい、狭いぞ」
「床でも結構ですから」
と言われても、男がベッドで寝るわけにもいかない。
「それもそうなんだがなぁ……」
「これから先もそうしなければならないでしょう?」
「そうだな。早めに慣れたほうがいいか。だが、お前がベッドに寝ろ」
「でも」
「男だけベッドで寝るのは変だろ」
「気にしないでいいですよ」
「そういうわけにもいかねぇ。そういう風にできてんだ、男ってのは」
「う〜ん……わかりました」
「じゃ、それはともかくそろそろ晩飯食いに行くか」
「そうですね」

夕食後、しばらくうろついた。
茂雄としてはできる限り疲れてしまいたかった。
夜、必要以上に意識してしまいそうだったからだ。
むしろ、自分の衝動が抑えられるかが心配だった。
「そろそろ戻りませんか?」
ガラが悪い連中が表にも現れ始める時間帯だった。
それを恐れる二人ではないが、厄介ごとは避けたかった。
「そうだな、戻るか」

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