2006年08月03日

教育現場

 メッセで少々盛り上がっちゃったので久々にコラムを。
 教育問題です。

 さて、ご存知の方も多いかもしれませんが、今の教育現場の現状がどれだけ悪平等に満たされたものか少し書き連ねようかと思います。
 自分はまだ1大学生にしか過ぎないので、人づてに聞いたことや調べたことばかりですが、まぁ「常識人」なら耳を疑うのではないかと思います。

1、徒競走の順位
 これはかなり有名な話なのですが、今幼稚園や小学校では「徒競走で順位をつけない」ということが各地で行われています。意味がわかりますか?
 少なくとも我々の世代では、とにかく声援受けて結果で、がっかりしたり喜んだりしながら、数字のついた旗のところに並んだりとかあったわけです。俺は大抵真ん中かそれより後ろばかりでしたが。
 で、現在ですが、そういったことをしないところがかなり増加しています。徒競走はやります。ただし、勝ち負けは決めてはならないそうです。また、一部では手をつないで最後はみんなで仲良くゴールするそうです。
 どこの国の話ですかと、本気で言いたくなるのですが。残念、日本です。

2、呼び方
「次郎さんゲームやりすぎだよ!」
「まだ死んでないもん! 圭太さんの番はまだ!」
 …名前は適当です。さておき、わけのわからん会話ですが。現実に行われている小学校男子児童の会話です。わかりますか? 「全員さん付け」なんです。
 現在の小学校では、男の子と女の子を区別して呼ぶことを嫌い、全員にさん付けで呼ぶことを強制しています。そのように教育されているので、学校を離れてもこういった会話が当たり前になっているそうです。
 俺にはこれ以上なく気色悪くて、逆に叱ること間違い無しの会話なんですがどうですか。このさん付け強制は、上の順位付け以上に全国の小学校に浸透しているようです。いつだか見た記憶が正しければ、実に40%超の小学校で実施されていることになります。

3、学校は学校じゃない
 授業のチャイムがなりました。一部の生徒はすっと席に着きますが、それ以上の人数がそのまま気にもせずにくっちゃべってます。廊下の外に先生が来ました。さらに一部の生徒が席にのんびりとつきます。残りはまだくっちゃべったままです。
 やがて、先生がドアを開けました。無言でそのまま教卓に立ちます。後ろや窓際では未だに生徒がくっちゃべってます。そして、先生が礼をかけさせます。喋ってる生徒は従いません。先生は何も言わず、そのまま授業を始めました。
 やがて、生徒たちは話がもりあがり大声で先生の声を遮ります。先生も怒るのかと思いきや、「外で話しなさい」と言いました。生徒達はそれに従い、廊下にでて喋りだしました。当然、他の教室にもよく聞こえますが誰もでてきません。みんな、慣れていますから。

 ……全て実話であり、そしてこれはそこまで珍しい話ではなくなってきているそうです。全国の小学校で、学級崩壊に近い状態にある学級が存在する小学校は5割を越すと言われています。不登校児童は、平均すると「1学年に1人はいて当たり前」の割合に達するといいます。特に小学校高学年から中学校にかけては、これらの事柄が大きく前面に出ているといってもいいでしょう。
 先生も最初は叱りました。しかし言うことを聞きません。手は出した瞬間に、今では即座に懲戒処分です。もしそれを免れたとしても、PTAはその手を出した事実に対して、事情など関係なしに責め立てます。そして、手を出したという事実にたいしかばってくれる同僚はいません。心中察しながら、とばっちりを避けるのが常です。
 ……学級崩壊だけはありません。いじめがあったとしても、それに対して叱る手段はせいぜいが親に言いつけるぐらいです。しかし、親が言うことを聞くばかりではありません。ありえない理屈をこねくりまわしてくる親も一部に居ますし、わかりましたといいながら何も出来ない親もいます。結果、学校が嫌になって行かなくなる児童が当然発生します。その親は先生に訴えるでしょう。でも、先生はなにもできません。首をかけてまでなにかができる先生なんて、それこそ数少ないのですから。


 大体大きな問題は、この3つでしょうかね。主に、親父が小学校のボランティア活動で先生と知り合い聞いてきたこと、親父の知り合いにもう少し若い夫婦が何組かいるので、そのあたりから聞いた話です。つまり、半ば以上は実話。割合的な話だけ、過去に見知った内容が混じっているのでその点だけは信じるかどうかは各自の判断でお願いします。


 さて、俺の意見はわかるよね。
 狂ってる。どう考えても。なにをどうしたらこうなるのか教えて欲しい。
 それともなにか。今後の日本をダメにするための破壊工作の結果なのか。素晴らしい成果だな。

 誰だってこんなところに子供を入れたくなんてない。俺だってもちろんそうだ。だから、今は私立の小学校が人気あって、公立は仕方ないものだという認識が広まってる。そして、中学以降だってその傾向はあるし、最終的に塾だ予備校だと金は嫌どいうほどかかる。
 少子化に歯止めかける気なんかねぇんじゃねぇか、と言いたくなるよね。経済的にも精神的にも、親が多く子供を持つのは難しい時代です。
 教師は信用できて当たり前。なのに、信用をこれっぽっちも受けることのできない今の教師は不甲斐ない。同時に可愛そうでもある。

 俺たちの代が子供を持つようになる頃までにマシになっていればいいと思う。それとも俺たちもまた悩まなければならないのだろうか。困ったものです。

2006年06月21日

SRS

どうにも更新が止まってしまうのは、日常のこと書いてばっかだとなんか違うように自分で感じるのが一因です。まぁ主な原因は単に忘れたりしてるだけなんですが(ぉぃ
まぁ、書くネタなんて別に尽きることはないんです。単に書くときに思い浮かばないだけで。そゆわけで、しばらくテーマ決めて書いていこうかと思います。まずはPC音楽関連だけど、きっとだんだんずれて行くので、そのつもりで。

SRSの続きを読む

2006年03月08日

名前と隠蔽

メッセで本名の話になったのだが、例えばmixi上でも本名出す人と出さない人がいるわけで。
いわく「まぁ名前ぐらい出しちゃいけないわけでもないし、隠すほうが理由わからない」という風にも確かに言われたんだよね。
サイトとかの関係もあるから、って答えたけど。

なぜ名前を出さないのか。一番大きいのは、ネットとリアルとの線引きかな。
基本的に自分の考えでは、

リアルの知り合い→ネットでも対応可能
ネットの知り合い→リアルのつながりは基本的にもたない

と、いうのはやっぱりありますから。だから基本的にリアルでネットに関すること聞かれても、大体は気にせずそのままばらします。うちのHPの小説とか正直ちょっと恥ずかしいんだけど、まぁそれでも許容範囲ってことで。
ただ、無理に隠すほどじゃないとは思ってるけど。

でもこれだけじゃ理由として弱いか。なんていうか、もうネット上に「アクト」あるいは「真田疾」というキャラがすでに存在しちゃってるのですよ。初代サイトから始まって、いろんなことしてきたからさ。
もちろんそれは自分自身ではあるんだけど、すでにある意味で別の存在として認めざるを得ないんだよね。ある程度の人が、真田疾という人間を知っている以上今さらリアルの自分と同一化は簡単にしちゃいけない、するべきではないと思う。
具体的な理由が確かにあるわけじゃないんだけどね。ただ、存在がある程度固定化している以上、いろんな感情をもたれると思うんだよね。それがリアルだったら対処できる範囲でも、ネットじゃそう簡単にいかないから。リアルでも難しいんだよ? でもネットだともっと難しいから、そういう厄介事を持ち込みたくないと。やっぱ結局は、防衛策なんだよね。
それでも、匿名ではなく真田疾という名前は確かにある。ネットの存在だとしても、その名においてある程度までの責任は負ってます。いざとなれば逃げれるのは事実だけど、趣味の範囲にしちゃ多少できすぎなぐらいにはしっかり責任取って物事にはあたってると思うのですがどうでしょう。
ま、自分に限ったことじゃないんだけどね。


しかし、最近の情報混乱は面白いし怖いね。隠したり流したり、そんなんばっか。
世の中の多くの人間が、情報というものをどう取り扱っていいかわからない。そして、隠蔽するのが無難だという方向性がどんどん匿名化、秘匿化を引き起こしている。
でも名前がないってどういうことかわかってるのかね、本当に。名前がないというのは、存在が曖昧であるということであり、責任がないということ。
責任がない社会って、どれだけ無味で乾燥してて危うい世界なんだろうね。誰も彼もが存在が曖昧で、何が起きてもその真実は伏せられたままだから、記録にも残らず忘れられる。良い事も悪い事も、そもそもその意味が希薄。信じられることは、本当に自分で確かめたもののみで、何も信用できないんですね。

特にバカらしいと思うのが、個人情報が流出するからーってやつ。個人情報は管理するものであって、隠蔽するものじゃないでしょう。そもそも隠蔽しきれるものじゃない。意味がない。それにやっぱり信用というものがなくなるよね。そもそもなんのために隠蔽してるんだろう。自己防衛? でも本当に役に立ってるのかな?
多くの人がまともに向き合わず、事なかれ主義でどんどん情報を隠蔽していく。そして隠蔽すればするほど、管理が甘くなり現実には弊害ばかりが増えて行く。
世の中バカばかりで面白い。同時にそれに巻き込まれる怖さがある。

処罰した者の名前は明かせない。その人の将来に不利になるから。って、それ処罰なの?と問いたくなる。責任ないな、本当。


まぁこれから社会人になるわけですが。大人の世界って、責任が重要だと思ってたんだが、最近それが嘘にしか感じられないね。政治家もあれだしね。時代が悪いのか、子供にはちゃんと見えなかっただけか。
プライドも責任もない。欺瞞が支配する世界は、しかしそれはそれでわかってはいたもの。問題はそれでもなお、綺麗事や責任って言葉を口にするから嫌になるんだよね。
こういう考えかたしてると、ホリエモンに賛同する若者が多いのも納得できてしまう。ホリエモンが悪い云々の前に、社会がそんな状態だからね。
わかりきったことをつらつらと書いても仕方ないんだが、しかしその方向がまた酷くなってるように思えるからつい言いたくなる。


匿名か。これほど無責任なものはないわ。そして責任ってのはなんなんだろうね。
行動に付随するもので、その行動に実体を持たせるものだと俺は理解してるんだけどさ。
まぁ逆に実体の無くなった行動に対して責任をおろそかにする自分がいるわけだけど。
匿名ってつまり、実体がないわけだ。
それは確かに楽なのかもしれない。余計なことを全て振り払うことができるから。でもそれって、つまりはその実体を持つべきものが無視されるということでもある。だって実体がないのだから。
無視というのは、人間にとって身近にあるのに、最も辛いことだと言っていいだろう。人間は、その存在を認められて初めて人間としていられる。
匿名になって、無視されて。つまりそれは「あなたは人間として認められてませんよ」という意味でもあると、それが理解できないのかね。


ちょっと話を戻そう。本名じゃなくて、真田疾をいうHNを名乗るのは、あくまで真田疾という存在が責任を取るということ。そして、その名前を名乗る以上、その名前は確かに実体を持っている。多くの人から認識されて、確かに一つの存在として在る事ができる。
それが確立した存在であるからこそ、それをリアルの自分と完全に同一化できないのかもしれない。つまるところ、真田疾という存在が出来てしまった以上、ないがしろにしたくないというのもあるのだろう。
名前を同一視してしまえば、その名前の存在はなくなる。あるいは軽視される。中にはいるかもしれない、リアルの名前が大事だからHNと同じ扱いにしたくないのだと考える人も。
自分の場合、それぞれに確かな重みを感じてるからこそ、その存在を無視できないのだろう。

完全にごっちゃ混ぜになっちゃったけど、まぁ酒飲んでるのでこれぐらいで勘弁してくださいw

2006年03月07日

業界見通し

情報学部を卒業してソフトウェア関連の企業や部署に配属されたとしよう。
率直に言って、今後の見通しはそこまで甘くない。数年は安定と見ていいが、その先だ。

要因Ⅰ:設備投資の一巡
最近NTTコミュニケーションズが「ITの時代は終わった。これからはICTだ」などというCMを流しているが、実際問題、情報システムに対する投資はここ数年が盛況すぎて、今後もこのペースが続くとは思えない。今は需要大で人も時間も不足している状態だが、そのペースがいつまでも続くこともないだろう。専門家ではないので、はっきりとした見通しでもなんでもないのだが、情報システムは一度導入したら当面変更する必要はなく、一気に導入が進んだここ数年の反動が来るだろうことは容易に想像できる。
そのために、システムの保守・サポートという分野があるのだが、それだけでまかなえるはずもなく、需要が減ってくれば少ない仕事を多くの情報企業が取り合う状況になりかねない。
まぁこれぐらいはどの業界でも似たような事がある。問題は次。

要因Ⅱ:技術発展
散々言ってるのだが、今のソフト開発は効率が悪い。逆に言えば、かなり技術が発展する余地が残されているのである。技術発展はいいのだが、技術が発展すると効率が上がり、コストが安くなる。これは新たにシステムを導入する企業としては助かることなのだが、作る側は呑気でもいられない。自分たちのいくつか前の世代から情報業界の雇用は好調で、まだ増員中。となると、技術が発展すれば人が余ることは間違いない。
もっとも、今が異常なだけでそっちが正しい姿なのだろう。現代社会においては、自動化されていない仕事というのはごく一部であり、そのごく一部が情報業界である。確かに今まで様々な技術が開発されてはきているが、針がミシンになったぐらいで生産ラインというレベルではない。であれば、生産ラインが確立してしまえば、今現在の人員が不要になる。

要因Ⅲ:価格の基準化
情報システムの値段というのは決めづらい。そして、実際同じシステムをいろんな会社に発注するとバラバラの値段が返ってくる。これも技術の未熟さを示している。
このシステムの価格が「これぐらい」という基準ができてくると、自ずと価格競争やサービス競争などが始まる。となれば、当然ついてこれない企業がどんどんでてくるだろう。
今の見積もり手法では、価格を一定にすることは不可能と言っても良い。だがその手法が改善され、基準というものが浸透してくることがないとは言えない。というより、そうなるほうが自然だ。

要因Ⅳ:ハードウェア技術の発展性
ハードウェア、特にCPUなどの技術進展がここ数年減速している。新たな技術により、確かにまだ向上して続けているし、今後も向上するだろうが、以前のようなペースではなくなってしまった。特にパソコンの基本環境に大きな変化があったのは2000年~2002年あたりである。その影響が徐々に弱まり、今はPCが主体の通常のオフィス環境ではわざわざ新たなシステムを投入しづらい。今後もしばらくはこの状態が続くと思われるが、これに関してはある程度以上先の状態はよくわからない。
基本的に簡単なシステムであれば、現状のハードウェア環境ですでに過剰になってる部分もあり、ハードウェアへの依存性は下がる方向にあるのではないだろうか。
要因としては弱いが、システム導入が冷める要因として挙げられる。

要因Ⅴ:セキュリティ志向
現状、情報技術で一番槍玉に上がっているのはセキュリティ関連技術だと言える。特に認証関連はバイオメトリクス技術が普及し始め、これから盛況を向かえる部分だろう。急速に発展したネット世界がこれらをさらに加速させている。様々な情報流出が発生し、セキュリティは必須となっている。
セキュリティはソフトウェアで対処可能な部分があり、この点に関しては今後はさらに求められる部分でプラス要因ではある。だが今一番不足しているのは、「認識」の部分であり、必要とされるのはソフトウェアより、むしろ各個人の自覚などである。
小さいプラス要因だと考えていい。今後の方向性の1つだろう。


まとめると、大体においてソフトウェア開発関連業界の規模は縮小すると見ていい。要因Ⅰと要因Ⅲに関しては基本的にシステム開発の受注などに関することで、例えば組み込み型のソフト開発などへの影響は小さい。要因Ⅳに関しても、範囲が広い組み込み型は安定している。今後縮小傾向にあり、競争が激化すると思われるのがいわゆるソリューション関連である。とはいえ、それが顕在化してくるのは何年か先であり、状況次第でどの程度それが厳しいものになるか変わる。やはり問題は要因Ⅱの技術的な発展だが、果たしてそれだけの技術がいつ完成するかはわからない。そういった技術が開発されなければ、まだ現状に近い状態はこれから先何年も続くかもしれない。

まぁ浅い知識で見通し立ててみました。

2006年02月23日

情報産業に対する違和感

今日は合同説明会でしたー。つっても、最初はあまり期待してなかったんだけどね。いや、なんでかっていうとどうも工学部系の企業が多かったもんで……。まぁそれなりに収穫はありますた。

ちなみに昨日は、ぷ。太郎とか行ってきました。
(ぷ。 → ボーリング 太郎 → 焼肉食い放題のところ)


んで本題に入ると。
なんか今日の説明会を聴いてておーと思ったことと関連もあるんだけど、どうもSEというものに対する違和感というか、変な感覚があって。
むしろプログラム開発か。どーにもこーにもいろんな話聞いてて、それぞれ微妙に食い違ってるもんでわけがわからんのですよ。いや、一応それぞれある程度は理解できるんだけどさ。
そゆわけで、ちょっと違和感の正体について考えてみる。


①開発工程に関して
最大の疑問。大体、こういう説明を受ける。

要求分析→設計→コーディング→テスト→納入

この開発工程における時間、人員の配分をパーセンテージで示すと、多くの場合こんな感じになる。
5-10-45-30-10
これは当然、そのままコストの配分にもつながってくる。つまり、後半のほうがいろいろと手間がかかるわけだ。
多くの場合、現場の人間はこの工程に納得する。なぜかといえば、自分がやってみれば自然とそうなるからだ。しかし、これは全く以って非効率的な方法だと俺は思う。

なぜかというと、『ソフトを2回作ってる』からだ。
だって、設計が完了した時点で元々形のないものであるソフトウェアというものは一度、形ができあがっている。それをコーディングという作業で再び組み上げるという方法は、非常に非効率的だ。
理屈では確かに納得せざるを得ないこの工程だが、しかし間違いなく無駄が多い。
コーディングとは、所詮『エンコーディング』である。すでに出来上がったものを他の形に変換しているにすぎない。しかし、その作業を全て人間がプログラムのソースコードを書き上げることで行っている。これが非効率的でないと言えるか。

解決方法など、わざわざ提示しなくてもいいぐらいだと思う。そんなもん、自動化してしまえばいいのだ。産業革命が遅すぎるぞ情報業界。ようするに、未だに機械がないところでネチネチとやっているのである。

現行ある方法の中で、一定の効果を出してるのが前倒し開発である。
先ほどの配分が①である。そして、前倒しでは②のような配分になる。

要求分析→設計→コーディング→テスト→納入
① 5-10-45-30-10
② 20-35-20-15-10

これによるメリットは、無駄が減るということである。現代のソフトウェア開発というのは必ずミスがある程度あるもので、これを修復するためにコーディングやテストに時間をかける。これは本人が気がつかないいわゆる凡ミスであるため、仕方なしというふうに考えられている。
だが、それを実際に作成の前に見つけられたらそれだけでミス修正の作業量が十分に減るのである。結果、全体の高速化につながり、ひいては低コスト化につながるという考えだ。
まだ良質な開発工程が存在しない現状では、これがいいのだろう。


②オーダーメイドの世界
現在、ソフトウェア業界というのはまだ伸び続けている最中であり、今後も安定して拡大して行く事が予想されている。
そしていわゆる、ソリューションに携わる会社はかなりの量にのぼっている。
はっきりいって、これは異常な状態だと俺は感じている。
情報システムの導入は金がかかるもの。そう世間では認知されている。少なくとも、法人では何億という単位はざらだ。しかし、やはり違和感を感じる。

なぜ、こんなに似通ったシステムがあちこちで用いられ、どれも高額で取引されているのだろうか。理解に苦しむ。決して全てではない。だが、ほとんどオーダーメイド同然なのだ。
そして、どの会社もかなり一番上の工程から下の工程まで、一気にやってしまう。これもおかしな話だ。

大量生産できない。分業すら成り立っていない。今の情報産業の致命的なまでの効率の悪さの正体である。
どの企業に頼んでも、それなりの見積もりを出して、結構幅広い価格帯で、そして様々な品質のソフトを提供する。間違ってはいない。しかし、どう考えても競争云々のレベル以前の問題だ。
これも、産業革命以前の状態だ。小さな工場があちこちに並んでいて、どこも同じような製品を作れる。もちろん、腕のいい職人もいれば、悪い職人もいるし、値段だって違う。
しかし、どれも大量生産ではない。もちろん、組合ぐらいはある。あと、ある親方がいて、その弟子がいてみたいな。
今の情報業界はそんな感じである。大企業の中身を見てみても、大規模なシステムを作成するだけではなく、いろいろなソリューションを行っているが、中身は実質大企業などではない。職人が徒党組んで、大掛かりなものをようやく作ってる状態である。

いかに未熟な産業であるか、わかるだろうか。


③売り出しているのに出来高制
ここが今日の話でもっとも感じたところである。
情報システムというのは、コーディングに時間がかかる、オーダーメイドのものである。
では、実際にその値段をどうやって決定しているか。

これは、多くの場合はどれだけの人間がどれだけの時間をかけて作るか、いわゆる延べ人数から算出される。工期、という言い方からも土木に近い考え方であることが理解できるだろう。
一人が一月作業することを1人/月と呼び、五人が二ヶ月作業したら十人/月としてカウントする。ここから、どれだけの費用が発生するかを考え、それに利益分を上乗せしたのが価格となる。
この説明は正しい。実際、これだけで自分はある程度十分納得はしているのだ。

それはいい。問題は、そういう説明を客に対して堂々とするところにある。そして会社によっては、これだけ余分に時間がかかったので、費用がこれぐらい追加でかかりますとか言いやがるのだ。
問いたい。そこに本当にプロとしての自覚があるのか。

売り出しているのは実体がなくとも商品である。オーダーメイドといえど、確かにそれは頼まれたとおりに作っている商品である。その商品の値段を、「開発にこれぐらいの人員と期間がかかるので」という言い方をしている時点で、間違っているのではないか。
おかしくないと思うのも、そういうものだと思う。違和感があっても自分も納得していた。
だが違う。

正しいのは「こういう機能があって、これだけの性能があるので」という説明である。
開発に云々の話は内部の話だ。大事なのは、商品のことだろう。なぜ、商品の説明に社内の話をしているのだ。どう考えても不自然だし、みっともない。
だが、それが当たり前なのが今の情報産業の現状である。
内容がわかりづらいがゆえに、誤魔化すためにそういう言い方をしているのがきっと広まってしまったのだろう。


④情報学部はなんのためにある?
SEという仕事は、大変ではある。だが、少しセンスがあれば誰でもできる仕事だ。
そう。わざわざ情報学部を出てSEになる理由はない。法学部出身でも、会社に入って研修を受けて、下積みを終えたら立派にSEである。
この事実を改めて見せ付けられると、全くもって自分がなんなんだろうと思えてくる事がある。
もちろん、入社時点で圧倒的なアドバンテージがある。だが、そんなものにすがったところで、いずれ追いつかれてしまうのだ。
確かに、同じ仕事をやっているのだからそれは間違ったことではないのだ。

だが。ならば、そもそもなぜ情報を出てSEになるのか。なぜ、そっちに行くような授業をやらされるのか。なんのために、情報を学んだのか。
それは研究開発にしか生きないものなのだろうか。
SEとは、システムエンジニアであり、エンジニアとは技術者である。工学系のエンジニアというのは一朝一夕になれるものではない。工学の基礎知識を叩き込み、さらには下積みを経てなれるものだ。
ところが、システムエンジニアというやつは、会社の研修程度で基礎ができ、あとは下積みだけでなれてしまう。
かたや4年間の専門学科。かたや半年程度の研修期間。確かに生きるところが違うとはいえ、
『専門なのにちゃんと生きていない』というジレンマを、どうしても感じてしまう。

「法学部を出たやつが事務」とかいう話を友達がするが、それとは別の話だろう。情報を出て情報に就職するのに、ちょっとアドバンテージがあるだけ。

そしてまた思う。
ああ、情報ってこんなにも薄っぺらいものなんだ、と。
もちろん、SEになるためだけの情報科学ではない。だが、それを主眼に置いている事は間違いないのだ。
もしかしたら研究開発にしか、情報学部の意味などないのかもしれない。そう思ってしまう。


⑤プライドはあるのか
値段見積もりの話でプロ意識を出したけど、業界の人間にどれだけプライドがあるのだろうか。
まず、納期に間に合わないなど言語道断。それがプロの仕事か。
東証のシステム移行時に起きたミス、みずほのジェイコム株問題におけるシステムの不備。どちらも呆れるどころの話ではない。はっきり言って、富士通を見限った。就活からは一切富士通関連を切り離している。あんないい加減なものを作る会社になど入りたくない。また数年後なら別の考えをするだろうが、今の富士通のソフトウェア系にはなんの魅力も感じない。
東京ガスだったか。何十億もかけておきながら、『開発失敗』。処理速度が必要な値に比べて明らかに遅く、改善するために追加でまた何十億もの予算を計上しなければならなく断念。ぐだぐだもいいところである。作っているのは発明品などではない。猿でもわかるような簡単なことが、ただ多く積み重なった程度のことだ。そんなものを開発失敗するなど、ありえない話である。

聞けば、世のSEというのは残業が当たり前であるという。まぁそれはいい。大学生だが、自分も残業は慣れたもんだ。だが、それは理由がある。単純に時間の使い方が間違っているからである。
つまり、しっかりとやっていればほぼ残業なしで終わるような量である。そしてそれが、適正量。
最初からそれを超えた仕事を持ち込んだり、あるいはそれを超えるような状況を生み出すような開発チームでは、どうしようもない。
本当に仕事を仕事と思ってとっているのだろうか。単なるその場しのぎなど、いかに意味の薄いことだかわかっていないのではないかと思う。

思う。
情報業界というのは、未熟でいい加減なものが大量に集まっており、その中にはもちろん頑張っている企業もいるだろうが、それが多数というわけではない。
だから、違和感や失望感が漂うのだ。だから、SEになどと未だに心に迷いがあるのである。
本当に、その企業のやり方がわかって、誇りをもって仕事をしている企業に就職したい。今は特にそう思う。
そういった企業に就職できるよう、全力でとはいわないが、今できる中ではできる限り気をつけて頑張って行く。そう思ってやらないと、確かにダメなところばっかあるこの業界でプロフェッショナルにはなれない。
もし、自分の思うような企業につけなければ。将来、俺は自らプロになる道を模索するだろう。


自分で自分はいい加減なやつだと思う。だが、やることはしっかりやりたいし、なるべくやってきたつもりだ。
そして、伊達に高校から「仕事」という言葉や、「プロ意識」などという言葉を使っていない。
やるからには、やれ。それだけの話だ。

2006年01月31日

萌えについて

痛いと言われようが、なんとなくエルゴの書いた文が引っかかったので、あえて書いてみる。
ついでにテストの現実逃避とかいう突っ込みは無しの方向で(てか手早く書いちゃう

世間における認知度がここ1~2年で一気に上がった「萌え」という単語。そして広めた最大の要因が電車男であることには間違いないでしょう。これによりヲタク文化というのがお茶の間にまで知れ渡るようになりました。
でも、この萌えが負のイメージでとらわれるのが個人的にとても嫌でしょうがないです。自分はヲタでも一般人でもないような微妙な位置にいますが、あえてそれでも書くだけ書いておきます。


そもそも萌えという単語はなんなのか。語源とかそういうのはどうでもよくて、結論からすればこれはある種の感情です。ゆえに、表現が非常に難しく、類義語を並べてもはっきりとした説明になりません。
自分もこの言葉について、具体的な意味を誰からか教わったわけではなく、その言葉を知ったときに「ああ、じゃあこれが萌えなんだ」と勝手に納得しました。
それは別に嫌らしい感情ではないし、現実の恋愛感情とは全く異なるものです。近いのは事実ですが、明らかに違う感情です。そして、結構純粋な気持ち。

一応これでもそこそこ恋愛を経験してきている自分としては、それが一般的な異性を好きになるのとは全然違うことはよくわかっています。そして恐らく、恋愛よりよっぽど純粋で単純な気持ちです。
恋愛は、なにをどうしても打算が生まれます。打算のない恋愛がないとまでいわなくても、誰だって相手と一緒にいたいからこうするとか、相手を独占したいとか、いろいろ考えるはずです。
萌えという感情にはそれがない。ゆえに純粋であり、逆にそのストレートさがその感情を理解できない人間に不快感を与えているのも否めないと思います。
まぁストレート過ぎる人をみてると、理解しているかいないか以前に嫌悪感がでてきます。早い話、口から簡単に萌えなる単語がでてくる人間は、その態度が醜いことが多いのです。

改めて言いますが、萌えはストレートにして恋愛に近い、別の感情です。そこに一般常識というより、一般的な観念があるのならば、それは表に出すのが恥ずかしく、内に秘めておいてこそ価値があるものです。限定的な会話をしてるときに、ちょっと遠慮しながら少し使うぐらいなら違和感はないのですが、世の中にはそんな感情の機微というか、常識観念の無いヲタクというのが相当数いるために、単語のイメージはよくありません。
第一、萌えという単語は新しくても、その感情自体は本当は多くの人が感じた事があるはずだと思うのですよ。それと気づかなければ頭の中で結びつかないかもしれませんが、確かに萌えというのは1つの感情で、しかも今までの日本語に近いものがあってもぴったり当てはめる単語が存在しなかったのだと思います。


あえて一番近い感情はなにかと考えてみれば、ファン心理でしょうか。性質が明らかに違うので同じではありませんが、その対象が好きで、できるだけ見たり積極的に関わりたいと思うのだけど、それと他のことはあくまで別と。
ファン心理というのは逆に自分ははっきりと感じた事がないのでわかりません。
ただ、しつこいファンはうざったいしキモいかもしれないけど、ファンそのものは普通でしょ? きっと同じことだと思います。ただ、やはり社会にはなかなか受け入れられ辛いものではあるんでしょうね……。


注:言うまでも無いけど、この記事に書かれているのはあくまで個人的な解釈です

2006年01月28日

コンプライアンス

近頃よく思うのだが、なんでわざわざコンプライアンスを主張する必要があるのだろうか。
そういう違和感を感じる。まぁ理由なんぞわかりきっていて、つまり道徳の「ど」の字も読まない人間や企業が多すぎるからだろう。

よくよく法令順守と訳されるコンプライアンス。これもまたよく言われるが、正確にはもっと広い範囲で早い話「世間に顔向けできる態度・行動をとる」ことである。
こんなもん話題になるほうがおかしい。専用の部門を慌てて用意したりとか、ここ数年そういう流れが多い。もちろん、例のライブドア事件がきっかけとなってその流れはまた大きくなったのだろう。
だがそういった、コンプライアンスやリスクマネジメントは、企業が顧客という存在を抱える以上、最初から必要不可欠な要素だ。小さい会社なら社長の目が行き届いても、少し大きくなっただけで不正の種はできるもんだ。
それが話題になってようやく動くなど、呑気に過ぎる。話題になること事態、日本企業の恥なのだが。

わざわざそういったことに対策を出すことに不満を持つ考えもあるだろう。社員を信用できないのか、と。最近の話題でそういった意見は減ってきたと思うが。
社員が信用できないというより、社員を信用できるような関係ができあがっているかどうかが問題なのである。部下を信用していると言ってる上司が、実際誰もが部下と親しくていい関係を築きあげているとも限らない。そして問題は、いかに親しいつもりでも本気で腹に抱えた企みまで見えるほどの眼力を誰もがもっているわけではないということだ。いや、本当に親しい人間が複数人いれば別だが、ある程度親しい人間が何人かいる程度では、その人間を思いとどまらせたりすることは不可能だ。

では何をすればいいかと、今企業がとっている行動のうち、『監視』というのがある。監視カメラはいわずもがな、PCでどのような操作をしているか監視するソフトや、印刷物のチェック、社員の行動を定期的に確認するなどだ。
これも仕方ないと言ってしまえばそれまでだが、やはり居心地が悪い。
結局のところ、どう誠実に過ごせばいいかといえば、出すべき報告をちゃんと出して、その内容に不透明なところがないかチェックして、そして内容に文句を言える立場の人間がいればいい。監視ではなく、なにが問題かを的確に分析し、それを主張できる権限をもった役割が必要だということだろう。

監視が一番必要なのは、特に情報漏えいの場面である。そこに重点を置くなら、監視するのが手っ取り早いのもまた事実である。
だからといって、簡単に導入してしまうのもどうも納得いかない。やはり利便性と引き換えになるし、経費もバカになるまい。効率を落とすために金をかける、しかし信用のためには仕方ない。
結局、そういったことを元から考えていなかったからそういう問題が発生するのだろう。今より環境を落として仕事をさせるというのは、単純な利便性以前に、モチベーションを下げてしまう。

対策をしてもしなくても、問題がある。なかなか歪んだ状態だなと毎度ながら思う。

2005年11月27日

ネトゲ(MMO)の負荷

PCが熱暴走するとか零とか言ってますが、やはりMMOは重い。
なにがそんなに重いのか考えてみると。

・通信
まずネトゲだから、通信しないとなりたちません。普通のHTTPでWebページを見るのとは違い、ネトゲでは同期のためにかなりの頻度で通信を行わなければなりません。送られてくる情報もわりと多いです。例えば、周囲の敵・味方キャラの情報(ID、HP、など)や、アイテム情報など。非移動物に関してはクライアント側に記録されているので問題ありませんが、それ以外はすべて情報が送られてくるわけですね。

・画像処理
送られてきた情報を元に描画処理などを行います。実はこれが大変で、なにせカクカクしないような速度で実行するとなると、最低でも1/30秒ぐらいの速度で処理しなければなりません。個々に様々なものが入り乱れるMMOでは、その1つ1つを重ね合わせて処理するので当然重くなります。
また、MMOの多くは最近のゲームらしく、グラフィックが綺麗です。その分、画像処理も重くなります。特に3Dのものは、そもそもDirect3Dに対応してなければ描画すら不可能ですし、対応しててもやはり量が多いので、処理は非常に重くなります。特に反射なんぞONにすると、その処理量は倍増します。

・そのほかの処理
MMOの主な処理は上二つなのですが、それ以外にもクライアントソフトが行う作業もいろいろとあります。サーバーから送られてくるデータは極力小さくなるように圧縮されてますので、その復号化と同時に限られた情報を解釈し、必要な処理命令を出します。例えば大魔法などは種類と座標しかサーバーからは指定されませんので、そのエフェクトを表示する場合にどう処理するかなどはクライアントが担当します。
そして、なによりデータの展開収納はかなりの負荷を伴います。MAPを読み込む時の速度が使うPCによって違うのを見れば、一目瞭然でしょう。

・負荷の度合い
当然、CPUとグラフィックボードあたりは非常に高い負荷がかかりますが、それと同時にメモリへのアクセスも頻繁に行われるようになります。なので、CPUが主に使う主メモリ、グラフィックボードが使うVRAM(主メモリと併用の場合もある)もかなり負荷を強いられます。
メモリが不足した場合、主記憶(ハードディスク)に仮想メモリを用意し、そちらにデータを格納することになります。MMOの場合、展開後のデータ量は非常に大きいので仮想メモリも消費する事が多いのですが、この仮想メモリへの依存度が高いと処理が重くなり、その分CPUの負荷も上がります。

・その他
見落とされがちなのですが、機械類は温度・湿度などの環境によって性能が上下します。そのため、冷却性能が低い状態で使っていると能力も落ちますし、そもそもそのまま熱暴走突入のパターンが。
さらには、高熱の状態が続けばそれだけ寿命も縮みます。また、ハードディスクなどは磨耗するので動作回数がそのまま寿命につながります。


とゆーわけで、MMOはいろんな意味でPCに優しくありません。
他の用途がメインなら、とにかく無茶はさせないようにしましょう。というか、MMOの世界にはいろんな意味で足を踏み入れるべきじゃないと思うw

2005年11月15日

フリーアドレス

最近更新頻度落ちてますねぇ。だらだらと日々を過ごしてるせいというか、いつ更新していいかわからないというのが本音。
時間がある時といえば、いつもないことはないんですが、その時に書く気になるかどうか。
学校から更新することもたまにありますが、やはりあそこじゃやりづらいです。


さておき。
この前なんとなくつけてたテレビでやってた話題。まずフリーアドレスって言葉自体初めて聞いたのですが、これはオフィスの話なのですよ。
社内効率化の一部にオフィス改革というものがあって、これは従来のオフィスをその会社にとってさらに効率的に利用できるように改造するものです。
企業に就職すると、人生のかなりの時間をオフィスで過ごすことになります。そのオフィスが窮屈で、ずっと居ると疲れて、あまり居たくなくなるような場所だったら、それは社員のモチベーションに大きく影響します。

そこで、デスクがずらっと並ぶオフィスをぶち壊すというのがオフィス改革。具体的には、開放的な空間になるように、まるで喫茶店やバーのような雰囲気にしたり、余計なものを極力どかすようにしたりするわけです。そうすると、窮屈な空間から離れ、意識的な負担が楽になり、特にアイデア面など普通に目に見えない部分でプラスに働くという考えです。
実際、これが一部では導入され始めているようで、もし興味があればオフィス環境もいろいろと調べてみると面白いかもしれません。

特にフリーアドレスでは、その名の通りどこに居ても良い、というのが特徴的です。デスクではなく、単にLANなどのインフラ端末があるだけの机が置いてある程度なので会話もしやすく、異なる部署の人との交流も容易です。
社員はノートPCとごく少量の資料などを持ち歩き、自由な席で自由に仕事をするわけです。ただ、その環境は従来の会社とは大きく違い、戸惑いが多くなる可能性もあります。当然、交流といったって、単に席が自由になっただけで全員がそうそううまくいくわけじゃありません。誰がどこにいるかわからないので、呼び出すにも少し工夫が必要になり、会議なども場合によりけり。
メリットとしては、とにかく書類がたまらないというのが大きいらしいです。それとやはり開放感。デメリットは、そもそもその状態が不便で問題になる場合などです。
仕事がノートPC上が中心というか、ほとんどそればかりになるので、それも問題です。ノートPCは携帯性を優先する分、人間工学上あまりよくない設計をしている部分があるし、耐久性や信頼性も据え置きのデスクトップに比べると低下します。

番組では、メリットを中心に紹介してましたし、やはり効果は大きいんだろうなぁと思ったんですが。しかし、自分だったらかなり不安になるなぁとも同時に思いました。
デメリットのほうが大きいんじゃないかと思うのですが、実際にわざわざ導入してる企業があることを考えると、それなりにメリットがあるのでしょう。
ちなみに、この記事はその番組見た印象を中心に書いたのですが、ここに書いてある内容とは関係なしに、メリットデメリットは俺は調べたんで、気になる人は軽く検索でもかけて調べてみてください。

2005年10月29日

公平と平等

以前、書こうとして結局やめましたが。
やめた理由は、BadGeeksのほうで考えてもらおうと思う出来事があったので、あえて自分の解答はその時は出さなかったのです。


公平と平等。これは恐らく、普段そんなに意識してないでしょう。ゆえに、ほとんど区別すらしてないかもしれません。
でも場面によっては、その意味は正反対の効果を持つこともあります。

公平のあり方は、「ルール」というものを見ると良くわかると思います。これは誰にも適用され、定義された例外以外は許さない、ある種の絶対的なものです。法律も、法治国家での絶対性を確保している公平なルールです。
公平とは誰に大しても「こうであればこう」と定義したものであり、それに従うことを公平であると言います。

対して、平等にルールは関係ありません。誰にも等しく平らであるという字面の通り、なにかの原因で変わることもなく、何に対しても同じ事柄が適用されます。つまり、基本的に「例外はない」のです。また、条件を加味することもありますが、基本的に「何かを理由に」ということまでを意味的に含まない言葉です。

これだけでも、大まかな違いはわかると思います。基本的に公平は平等を包括することもあれば、立場によっては逆に全く関係ないこともあります。視点の違いにより、変わってくるわけです。
ある意味において、公平は常に平等だとは言えますが、平等は公平とは限りません。平等は公平であるための必要条件ですが、必要十分条件ではありません。


さて、ルールには制定し、それを運用する立場と、制定されたルールが適用され、従う立場があります。ここで運用する立場は常に『公平』を心がけますが、従う立場は『平等か不平等か』を気にします。ここに食い違いが生じ、問題が起きるわけです。
あの人はああなのに、自分は違うじゃないか。そこでルールを見て仕方ないな、と簡単に思えないのは事実ですが、公平たる立場はそれを崩すわけには行きません。それが立場の違いです。

そういった不平等を逐一解決し、全員を平等にすべく行動するとどうなるかというと。まず1つの平等を解決すると今度は別の不平等が1つ以上出てくることがほとんどです。そしてそれを解決すると別の不平等……と、きりがありません。
そういった、不平等の連鎖をしないために、「誰もが平等になれる条件」を定義したのが実は 『公平』です。公平は、あくまで平等の上に立っている。それが先ほど言った必要条件の意味です。

まとめる立場は、常に公平を心がけます。ルールだけですべてが解決できるわけじゃないので、時に公平を外れることもありますが、それでも原則として公平じゃないとまとまらないからです。
下手な平等なら、取らないほうがいいというのもまた真だと、自分は思います。


書きながら構成していったので、少々雑な文になりましたが、大体こんなものでしょうか。足りない部分も間違いなくありますが、大まかにはこれで理解してもらえれば幸いです。

2005年10月14日

9割の客観性

あとで書こうと思って、いつも気がついたら寝る時間という悪循環。いつものことですが。
これでもなんとか書こうとはしてるんですよ?


よく「客観的に」という言葉を使います。でもこの、「客観」って結構難しいですよね。
いくら客観的に述べようとしても、10割の客観性をもたせて書くのは不可能と言わないまでも、かなり困難です。
しかし、世の中では常に客観性は求められています。嫌でも客観的な見かた、考え方を身に着けざるを得ないわけです。
結局得られる客観性は大体9割程度という少し中途半端なものになってしまうわけで。

考えてみればそれは仕方ないことで。なにせ、人間は必ず主観でしか世の中を把握できないからです。
客観とは、誰から見ても共通の認識ができうるであろう見かた・考え方であり、立場にも視点にもとらわれないものです。
つまり、自分が見たものはいくら頑張ってみたところで客観性に劣るわけで、結局客観的な見解には至らないわけです。
この状態でさらに、多くの情報を得て、妥当と思われる結論を出した状態を一般的に言う客観的な考えというわけです。
判断の基準となる多くの情報も主観的なものが多いので、結局客観と言うのは主観の集合に過ぎないと言えるでしょう。
主観と客観は一般的に対義語ですが、関係だけを見ると対を為すものではなく、むしろ客観が主観に依存しているという奇妙な状態にあるわけです。

まぁともあれ。
客観的な考え方や見かたがうまく出来ない人は、世の中たくさんいます。
もちろん本人が努力してるケースも多々あるのですが、その結果を見ると客観性が不足しているわけです。
すでに述べたとおり10割の客観性は困難ですが、それでもやはりその精度を高める必要性に迫られることも多いでしょう。

客観性を得るために、どうすればいいか。手っ取り早いのは主観を分析することです。主観とは、得た情報に対し解釈の段階で、自分に理解しやすいように様々な情報を加えたものです。この加えた情報が何であるかを判断し、それを意識的に取り除くことで、主観ではなく、客観の種ができます。
この客観の種は、これだけでは客観というには情報量が少ないことが多いため、今度は別の情報を探しに行きます。別の情報でもどんなに客観的に書かれているように見えても、主観的な情報であると言う前提に立って考えます。多くの場合、自分の客観には不要な情報が含まれているからです。

なにが余計な情報か判断するには、まず自分あるいは情報の発信源の立場や視点を分析することで得られる場合が多くあります。また、他の情報との相違点あるいは類似点から導き出すこともできます。
共通項を多く探し出し、矛盾点を排除し、綺麗な形にまとめたものが、「9割の客観性」です。

残りの1割は、捨てられた情報の中に含まれていたり、あるいは最初から含まれていません。この部分を求めるには、必要なすべての情報を得る必要があります。現実で起こりうるすべての現象に「誤差」が含まれるのはこのためです。これらを求めることは人間には無理でしょう。あるいは「限定的な事象しか起きない条件下で、かつ限定的な空間」なら可能かもしれません。ちなみに人はこれを「数学」と言います。ゆえに、数学は100%客観的です。
とゆうことは、数学的なアプローチも客観性に近づく手がかりですね。

まぁともあれ、客観性というのは必要だし、自分の中だけで終わらないためには重要です。
自分の主観がなにであるか知ること、相手の立場や視点を分析すること、何が捨てられるかを理解すること。
まぁ自分が必ずしもこの手順を踏んでるわけではないですが、参考にしてみてください。

2005年10月11日

就活序章

3連休、ほとんどイベントの準備に東奔西走してたわけですが。
あと、零に見た目ぱくられました。まぁ、所詮もとが拾い物のテンプレである以上、しょうがないんだけどね(´・ω・`)

さて、その傍ら唯一真面目にやってたのが就活関連のことです。
とはいえ、そんなにたくさんのことをしたとも言い切れないのですが。

最近の就活でまずやる事と言えば、最初の就活説明会を聞いた後、就活サイトに登録することでしょうか。
いわゆる「リクナビ」とか「日経ナビ」とかそのへんです。この辺の登録は、実は結構前に済ませてあります。
それらの登録に関連して、いくつかの資料が届いたのと、企業の事前登録ページオープンの時期なので、大手数社に登録したところです。
そうそう。ここから先、できるだけ個別の会社名は出さないようにするので、その点ご了承ください。
わりとそれだけの作業でも多少時間くったし、資料は量が多いので読むのにちょっと時間かかります。適度に読み飛ばしてるんだけどねぇ。

自分は範囲も絞りもいくつか候補がもうまとまってます。また、もともとビジネスに興味が強いので、すでに経済情報を受け入れる準備はできているし、戦術や戦略を練るのも得意なので、先の展望の推測などもできます。
AO入試で3対1の面接の経験もあるし、とっさの質問に答えることもできる。もともと、素の状態で普通に「真面目そう」な人間にみられがちなので、就活自体はまだ比較的順調に行けるほうかなと思います。
まだ志望が少々弱めですが、今後意思力とか増強していきたいと思います。
こんなこといいつつ、いろいろと足りないものを見落としてそうです。地道に探したいが、果たしてそれだけ考える思考力があるかな最近。
いろいろと変な忙しさで思考力が割かれてる気がします。
うーん、もうちょっといろいろ真面目に考えるべきさね。


とりあえず、目下のところイベントを軌道に乗せたいデス。

2005年10月02日

就活準備始動

誕生日だった今日、結局なにをしてたかというと、あのわけのわからん長文書いてから寝付いたのは7時ぐらいでした。
起きたのは10時過ぎ。隣の幼稚園が運動会だったのですよ。
まぁ睡眠時間短い、と言ってもその前日おもっきり睡眠時間オーバーランしたからどうでもよく。
で、昼間はメッセしつつ、リクナビとか日経ナビあたりを軽くさらーっと見てました。

さらには、日経ナビ登録キャンペーンで、日経ビジネス(週刊)と日経新聞の試読も以前に申し込み、日経ビジネスは先週、日経新聞は今日から届くようになりました。
そろそろ本気です。将来のことを考えると単に仕事ではなく、ビジネスそのものに対して見識を深めようと思ってます。
実際のところ、そのへんは平均的な大学生より元々高い水準にあるとは自負してるけど。
まぁ経済関連って面白いじゃないスか、って言うような人間。

日経新聞をたらーっと読んでみて感じたのは、やっぱり新聞なんだということ。そしてその重点の置き方がかなりはっきりしている。政治の批評なんかは簡潔で、やはり企業に関連することがらを重点的においている。
一般記事と、ビジネス記事が同レベルで扱われているので、もはや朝日や読売とは比較できるもんじゃない。
まぁ、一応一面記事と多少は以前から図書館やらで目にしてたから知ってたけど、中身まで一応読んでみたら、まぁ同じような系統の記事が何面も続くことw
自分としては、逆にこれはいいと思う。この系統の記事をむしろ好んで読むからだ。テレビ欄が内側に隠れてるのは普通に考えればマイナスポイントだが、テレビは気分でしか見ない俺には関係ないし、むしろPC常時ONなのでgoo番組表多用気味。

土曜なので、おまけがついて来てた。プラス1ってやつだけど、鉄道の特集がちょうど始まったところだった。
この時点で今読んでる読売の俺に対するアドバンテージはさらに薄らいだ(ぉ いや別にそんな気にして無いんだけどw
気になる言葉づかいがTOP特集だったんだけど、一位はやっぱり「○○でよろしかったでしょうか」らしい。
俺初めて聞いたとき、思わずずっこけそうになったもんさ。ていうか、聞いてて腹が立つ。なんか無性にそれを修正したくなった。
初めて聞いたのは、大学入ってこっちきてからだが、それにしても全国に広まってるこの言葉はなんとしても撲滅したいぐらいである。
マジおかしいどころの違和感じゃなく、無性に聞くと腹が立つ。
まぁ言葉は新しくできるもんだけど、これは違和感が強すぎるんだろう、やはり。馴染まれても困る。
ちなみに俺が店長だったら当然徹底して使わせない。不快に思う客はやはりいる。

まぁ話はそれたが、業界研究というより、いろんなビジネス全般の情報を調べつつ就活準備に近いことをし始めてる。
就活サイト登録は数が多ければいいというものでもないと思うので、あと一つ二つ検討して登録するかどうか、といったところか。
そして企業サイト。大手の採用関連の事前登録はぼちぼちできるようになっているはずである。こちらも大概知ってる企業であるが、一度軽く洗ってから登録に入ろうと思う。
これから忙しくなるので、自覚しておかないとダメだな、やっぱ。

やりたい仕事の方向性は、すでに大体の答えがでている。早い話、俺がカオスの改造にはまったのと無関係ではないのだろう、という結論。
忙しくなっても、BadGeeksは見捨てません。そのためには日々、いろんなことをしなきゃならんのだが、果たしてもつのだろうか。身体はともかく、精神的な疲労が怖いところです。
でも、やらんとならんし、時間は待ってくれない。
あぁ、でもTOEIC対策でしばらくは余計なこと構えないかもしれません。

ところで。
昨日消した部分ですが、どうも気になるという人は直接連絡くれれば、見せてもいいか判断した上で見せます。
自分という人間の本質的な部分を、愚痴に近い書きかたをしたので、あまり綺麗な文章ではありませんが。
友人であれば、はずいけど見せてもいいと思うし、今まで過去に話した(相談した)ことのある内容の具体的な部分が書いてありますから。
ギャルゲーで言う、好感度とか友情度が高いと思う人はどうぞw

2005年09月27日

就職の方向性

さて、迫り来る就職活動なわけですが。
ロキ様がお仕事関連の話を結構してて、最近もそのネタで攻めてきたので、うちもそろそろ。

そもそも理系ですから、ある程度は方向性決まってるのですよ。職種的な。
ただ、それでも情報というのはもはやどこにでも必要とされているだけあって、職種はある程度縛られても会社の業種は、結構自由なんですね、これが。
あと、うちの学科で学んだ事はプログラマというより、SEに直結するわけですが、別にSEになる必要もないわけで。工学部の情報系ではなく、情報学部で学んだ、というのはかなり選択肢を広げるポイントにもなっています。


どういった会社を希望するかはこれからですが、仕事の中身をいろいろと考えてみました。
やはり自分の系統としては、SEの方向になりそうです。ただ、SEの中でもさらに、って希望もありますけど。
どうやら今後もPCの前から離れる事はなさそうです。あまり良いことでもないと思うんですが、まぁ仕方ないなぁと。
興味の方向性としては、ユビキタスとかインターフェースにも興味もあるし、うちの学校はその辺強いんですが、どうも今の自分にはしっくり来ない気がします。
まぁSEにだって適正がそこまであるとも言えないと思うし、どっちもどっちなんだけど。

ただ、研究ってのはどうも難しいかなと。研究するなら院に行くわけですが、院にいって研究しようという気には今のところなりませぬ。
どっちかっていうと現場でのし上る方が興味あるかな、ていうw
とにかく経験を殺さず、どんどん上を目指せたらいいかなと思っています。ある意味、そのためにSE方面と決めた部分もあります。


ちなみにSEと確定させはしましたが、強く拘ってはいません。
会社で同じ仕事を続けるとも限らないし、また自分も興味が1つとも思ってないし。企画とか経営方面はいいなぁと思うけど、はてさて。


今後の会社選びの基準。やはり、給料良くてもだらだらとした職場はごめんかな。給料がいいのは、先の話でよくて、まずは経験と技術を鍛えることから始められるようなことを考えつつ。経験や技術はSEのみに限らず、他の部分も含めて包括的に考えます。
そういう意味では、会社の方針、雰囲気、人材育成、このへんにこだわりたいですね~。
次が福利厚生、給料といったところなのかな。

このへんの言葉の裏には、経験の下積みが終わればその後はその会社に所属し続けるかわからないという、なかなか自己中な考えが見え隠れしてますw
いや、もちろんその会社で居続けるような状況かどうかを見極めつつね。居続ける状況なら別に終身雇用でも問題なし。
また何かが見えたら独立するのも面白いかなぁと思っていますが、残念ながら今の俺には独立するだけの気合の入ったものは見えてません。思いつきはいろいろとするんだけど。
そゆわけで、やはり独立するにしても基礎積んでからという考えがあります。わりとそこは前から考えてました。

現時点で、周囲より就職に関してはいくらかアドバンテージがあります。それは気の持ちようであり、AOを通った経験であり、先のことの考えであり。
でもまだ全然途中なので、忙しくなってもできるだけ、そこから先に進むよう努力していきたいと思っています。
真面目な話2連発ですが、以上です。

2005年09月25日

コンテンツ

一日飛ばしに見えますが、一応寝た回数としては1回なのでちゃんと言った事は守ってます。
ということで、今日もだらだら過ごしましたが、だらだら分清算で少々真面目に書きます。


著作権や特許権などの知的財産権は、近年社会的にかなり大きな比重を占めています。
まぁ何事もアイデアとか作ったもの勝ちとか、そういうもんですからね。資本主義社会だし。
だからそれを保護するためにいろいろと法整備もされてるし、技術的にもいろんなものを尽くすのですよ。

ここはやはり音楽メディアの話からしましょうか。
以前にも話したとおり、音楽業界はいろいろと四苦八苦してる最中です。
CDが売れないのでMDなどの録音メディアに上乗せするなどのほか、最近はMP3プレイヤーやHDDプレイヤーに対する警戒もかなり強めています。
特にiPodの衝撃は大きかったようですね。まさか林檎が大ヒットするとは誰も予想だにしてなかったというか。

とにかくコピーされるのをなんとかしたい。その一心で、CompactDisc規格を離脱したまで作ったCCCD(Copy Control CD)ですが、音質が結構劣化する、無視できないぐらいの割合のCDプレイヤーで動作しない、そもそもそれだけしてもコピーされる、という最悪の代物でした。
今でも出回っていますが、もはや意地で嫌がらせしているようにしか思えません。

著作物にとってコピーは大敵です。とにかく、根絶やしにしたいのです。音楽やソフトの日本国内の不正コピー率は多く見積もれば4割から5割ぐらいにも匹敵するぐらいですから。正確なソースは探すのが面倒なので今回は提示しません。最新の報告もまだのはずなんで。
ともあれ、音楽離れの傾向が見える一方で、音楽がどんどん不正にコピーされてる現状は、とにかく音楽業界には大打撃です。そりゃ商売ですから。
タワーレコードのサブスクリプションサービスはそういう意味では、打開策としての意義は十分あると思います。

結局のところ、不正コピーされるから値段が下げられない、値段が高いからユーザーが買わない、ということならコピーとかどうでもいいような環境で適切な値段を提示すればいいわけです。
実際のところ、そんな単純な話ではありませんし、難しいことですが、だからこそ結構いい試みだと思います。
特に「非従量課金」サービスは、最近のIT関連では成功例が多いですし。誰だって、制限を気にしながらサービスは使いたくないし、財布とにらみっこしながらCD買うことができる人がそもそも最近少ないのだから。
個人的に、このサービスの自身への有用性を抜かしても、この手の新サービスは応援したいなぁと感じました。



もともと、メディアはできるだけ「不公平なく、低額で、誰でも使いやすく」提供されるべきだと思っています。
ここでのミソは「不公平なく」であって、「平等である必要はない」と思っていること。
コンテンツ業は多くの人間が楽しむためのものです。そしてそれを優先すれば、結局かなり多くの顧客が存在するわけですよ。
コンテンツを提供する業界そのものが、コンテンツを利用する利用者全て課金さえしてしまえば、利用者がそれをどの程度活用するかという平等性は抜きにして、不公平なくサービスが提供できます。
安定した収益も確保できるし、利用者にしてもこれ以上使いやすいものはありません。

これが、多くのメディアの利用者でもあり、著作側にも回ることのある自分としての、考えです。
もちろん利点を並べましたが、欠点が大量にあります。
例えば、適正価格が非常に難しいこと、コンテンツに資金を多く投入する顧客の可能性を無くすこと、多種の業者間での調整が必要不可欠になること、得た収入の分配が非常に難しいことetc....

それでも、これが最良の手段の一つじゃないかと思っています。
少なくともコピーを免れようとしても免れる事は『不可能』です。
そもそも音楽なんかは、再生が可能な時点ですでにコピー可能ですから。最近のPCなら、再生したものを再度サンプリングしても、かなり高音質を保つ事は可能です。
少なくとも音楽のコピーを防ぐという発想自体、もうこの時代ではナンセンスになりつつあるのです。
そもそも音楽は共有するもの。なら、共有しても大丈夫な形に運んだほうがよりいいと思うのですよ。


さて、他のものですが。
音楽だけなら、まだいろいろと可能性が見えますが、他のものは難しいところですね。
映像に関しては、音楽より難航するでしょうけど、やはり同種だと思います。限られたパイになりがちかもしれませんが、それでも不公平ない形にしたほうが確実だし、よけいなしがらみもなく、また発展にもつながるんじゃないでしょうか。

書籍は難しいですね。ただ、紙媒体に限定するものが多いので、こちらは現行のものから大きく変える必要はないと思います。スキャナという手段も存在しますが、深刻な事態になるほどの技術はまだ開発されないでしょう。

ソフトウェアは厄介ですが……、これはまだコピーガード方面で頑張るのがベストでしょう。音楽や映像のようにキャプチャーという手段が存在しない以上、まだ砦は守れます。守り続ける必要がありますけど。
万人に使えるようにする必要性があれば、また課金も手ではあります。IEの価値はWindowsの値段に含まれていると考えていいんじゃないか、ってぐらいのレベルの話だと思います。もちろん、これはWindowsがほぼ独占、残りのシェアもMacOSなどのまともにお金のかかるOSが支配しているから成り立つ論法な部分もあります。

なんか途中で話が脱線気味でしたが、とにかく著作権保護も今後は動き方をいろいろとかえる必要があると感じています。
特に音と映像。静止画も含む。
日本をメディア大国にするなら、それこそ世界に先駆けてそういうユニークなシステムを設けてもいいんじゃないかと思います。いっそメディア援助のために国民から税金とりあげて、その分メディアを思い切って値下げでもしてくれりゃ面白いと思うんですけど。
まぁそんな大胆な事は無理だろうし、実際そんなことに反対な立場の人も多いでしょう。

でもね、コピーはできるんだから、コピーしてもしょうがない環境を作るのが一番なのよ。

2005年09月20日

銀の弾丸

ソフトウェア制作にかかる、コストである『人月』を減らす。
これが非常に難しく、劇的に減らせるような手段がないと。
これを狼男に比喩して、銀の弾丸という話。


その原因は、同じようなものでも一から作るからで、そのために全てに関して複雑で大量のテストが要求されているわけで。
モジュールの再利用が進めば、工程数は減る。コーディングはもちろんだが、一度は信頼のとれているモジュールなので、結合テストを中心に進めればいいからだ。
でも、このモジュール再利用はなかなか難しい。なにせ、適合性のとれるちょうどよいモジュールがないからだ。
また、モジュールは数が増えれば増えるほど、その制御にかかる手間が増える。無理にモジュールを再利用しようとすると、かえって問題が悪化することもある。
まぁここまでが今日聞いた講義の話。


では、打破策案。
俺はWinnyの仕組みが大好きで、非ピラミッド型の構造にすればいいんじゃないかという発想をまず考えます。
で、思いついたのがこれ。

汎用性のあるモジュールを再回収するための仕組みをサーバーまたはP2Pネットワークで確保する。
この汎用性の部分は少々難しいが、このモジュールを再利用するための仕組みとして、モジュール自身にどのような他のモジュールとの適合性が高いかを記録させる。
モジュール同士をつなげる形を優先するために、汎用性を高めるようなインターフェースを用意する。
足りない部分は既存のプログラム方式で補えばいい。


まぁ問題点を抱えてる上に、これが実現できるかどうかはわからない。
少なくとも、再回収を中心としているので、結構工程数を減らすのには貢献するだろうが。
いろいろと考えてはみたが、まぁ思いつきだとこれぐらいが限界。

2005年08月19日

地震対策

先日、宮城県でマグニチュード7.2の地震がありましたね。
最大震度は6弱ですが、この情報はやはり処理されるのが遅れました。

マグニチュードと震度の違いはさすがにわかると思うけど、おさらい。

まず、震度は観測点の揺れそのものを基準として、計測されます。震度は指標で、細かな数値を提供するものではありません。揺れの数値は加速度の単位(ガル)などがよく用いられます。震度は1~7まであり、大体次のようになっています。

震度1:無感地震。計測はできるが、人間には感知できない程度の微弱な揺れ。
震度2~3:ここから有感地震。2ではわずかな人が、3では大体の人が地震に気づく。歩いてるとわからない場合も。
震度4:ぐらぐら揺れる程度の地震。安定してないものが稀に倒れる。
震度5弱:被害が出始める震度。もろいものはこのレベルでひびが入るなどする。
震度5強:それなりに強い震度。劣化したブロック塀などが倒壊する危険がある。
震度6弱:強い震度。家に被害がでてもおかしくないレベル。一部損壊などが発生する。
震度6強:非常に強い震度。全壊する家屋が出たりし、固定しててもゆるい物は倒れるぐらい強い。
震度7:大きな被害をもたらす震度。全壊、半壊する家屋が数多くでる。

資料を参考にせずに覚えてるものを書いているので、少し食い違いがあるかもしれませんが、目安としてはこんなもんでしょう。
被害が気になるような震度は5弱以上ですが、油断してると4、あるいは3程度でも家具が倒れたりするので要注意。
なお震度は指標なので7までしか存在しません。


マグニチュードは、地震のエネルギーを示します。よく地震の規模をあらわすと言われますが、このマグニチュード次第で、どれだけ大きな地震だったかがわかります。
詳しいことは調べてないのでわかりませんが、マグニチュードは有効小数点1桁の通常2桁の数値で一般には発表されます。マグニチュードは単純な増加式ではなく、数値によって指数的に増大するようになっていたと思います。
例えば、マグニチュード7の地震とマグニチュード8の地震では、放出されるエネルギーは2倍(訂正:32倍です>Wikipediaより)、という話を以前に聞いた気がします。つまり、少数桁が変わっただけでも規模の差はかなり激しいと思っていいと思います。
スマトラ島沖地震のマグニチュードは9.3で、それぐらいの規模になると全世界レベルの影響力を持ちます。津波はインド洋に限定されましたが、例えばあれが太平洋で発生してたら、太平洋沿岸すべてに対して津波が到達していたでしょう。実際、観測至上最大だったチリ沖地震では、日本まで津波が到達したという有名な話もあります。


さて、地震大国日本ではいたるところに震度計なるものが設置されています。震度計は、各地点で観測データを取り続け、地震が発生するとそのデータを管轄のセンターに送信します。さらにそのデータは気象庁に送られ、地震によりある程度以上の被害がでるような場合は内閣府に対策本部が設置されます。
ところが、この震度計のデータ送信に非常に時間がかかるような問題があったということが、今回の宮城県沖の地震でも、さらにその前におきた首都圏の地震でも明らかになりました。
また、サーバーが処理しきれなくなり、停止するといったようなことも発生しました。


実は、地震対策は国の政策として行われているため、各自治体は上からの命令で地震計を管理しています。つまり、そういう地震対策の話がでた当時に一斉にシステムを導入したはいいものの、そのあとは国から何も言われないので、そのまま運用してたのですね。もちろん、気にしてたところもあるかもしれませんが、基本的には国の対策どおりに運用さえしてれば問題ないと思っていたようです。
しかし、そもそもシステムが古いので、処理能力に自ずと限界があります。現在導入されてるシステムがどの程度古いかわかりませんが、今回の騒動を見る限りは少なく見積もっても6年以上はたっているでしょう。もしかしたら10年経ってるかもしれません。
今回問題となったのは、2つです。その前に起きた問題がもう1つあるのでまとめて話します。

まず、第一の問題点はメンテナンス不備。
気象庁直轄の震度計にすら不備があったという状態なので、それ以外の自治体が管理している震度計は酷い有様だと言ってもいい状態でしょう。計測機械が正常に動作しないのであれば、もちろん正確な震度のデータなど望むべくもありません。通信部分に問題があれば、データは届かないのも当たり前。

次の問題は、サーバー。
震度計は観測したデータをサーバーに送ります。地震がまったく起きてないときはデータを送らない待機状態らしく、地震が発生すると各地の震度計が一斉にデータを送信することになります。
さて、震度計の数はそれなりに多く、データ量もそれなりにあります。今のブロードバンド時代のサーバー機であれば全然問題なく処理できる情報量だと思われるのですが、残念ながらシステムは前述したとおり古く、サーバーも相応に能力の低いものを使い続けてると考えられます。システム導入時にテストしたとしても、その後どんどん地震計を追加していけば、当初の想定より多いデータ量でパンクしてサーバーがストップした、というものです。

そして、今回特に大きな問題となったのが通信環境。
これを見ている人の通信環境はどの程度でしょうか。速い人なら、60Mbps程度、遅い人でもブロードバンド環境は1Mbps程度までは到達しているでしょう。
Air-HやISDNなどの環境では、128kbps、あるいは64kbps程度が限界ではないでしょうか。
それで、今回の宮城県で遅れたデータの通信速度はどの程度でしょうか。一般電話回線と書いてあったので、推定値ですが調子のよい限界速度で32kbps、実際は16kbps程度でしょう。
そして宮城県内では電話規制がひかれたため、まったく通信ができず遅れたことになるわけです。
普通は防災などは緊急時用の非常回線を使うんですけど、そんな基礎的なことすらできてなかった、というわけです。いい加減にもほどがあるというか、国民の命を軽視してるんじゃないかとか。
とにかく、送られるデータ量がそれなりの量あるということを考えると、この通信回線の遅さは大きな問題です。


実は、専用線では今でも数多くISDNの方式が用いられています。いわゆるNTTのINSサービス。
これは企業の専用線として、90年代後半にかけてかなり導入されたためです。既存のアナログ回線に比べると格段に速く、専用線としての信頼性にも長けていたからです。
例えば、コンビニの端末の多くはいまでもこの専用線を使ってますし、信頼性を重視し多額の金額を投入したシステムなんかは、この回線を使ってる場合が多いようです。ライフライン関係でも、今でも光ファイバーによる専用線よりISDNの専用線のほうが多いと思います。
情報量が増えた現在では、やはり光ファイバー程度のキャパシティ(容量)は欲しいところですが、その手の設備を変更するにはやはり多額の設備費が必要となります。
地震計も同様で、なかなか重い腰をあげようとしません。
しかし、様々な地震研究が進む中で、肝心の測定の機能が不十分では大問題です。今回の地震では、初期微動から地震の規模と到達時刻を事前にしらせるシステムが活用されましたが、今後こういったシステムを充実させるためにも、地震計のデータはさらに重要になってきます。

さて、地震対策が今後どうなるのか、見物ですね。
考えてみれば、小泉政権の間に大きな地震がすでに何回も起きてるのです。国が動かなきゃいけない時期じゃないかと、俺は思うんですけど、どうでしょう?
まぁ今回の選挙戦でそれを言う候補者って、ほとんどいないでしょうけどね。

2005年08月17日

時間平面

なぜかこの話好きです。
この話を本格的に気にしたのが「それゆけ!宇宙戦艦ヤマモトヨーコ」なる小説なのがまぁ微妙っちゃ微妙なんですけど。

4次元の話をするときに、4次元目のベクトルが『時間』というのがイマイチ納得できないものだと感じるのは、やはりドラえもんのせいなのかもしれない。
でもやっぱり人間に知覚できる物理量としては、空間に時間を加えるしかないように思えます。
これで4次元。これで人間に近くできる物理量は限界を迎えているのか、と考えた時にもう一つ。
それが『可能性』です。可能性がベクトルというのは余計納得できないと思うけど、それでも可能性はベクトル要素です。

時間も可能性もベクトルとして定義しにくい理由がそれぞれあります。
まず、時間は原則として流れ方を変えることができないこと。でも時間に前と後ろはあるでしょう?これだけでもベクトルとしては十分。
では可能性は?可能性には前や後ろといった概念はありません。そもそも可能性には流れがありません。でも、可能性ベクトルは確かに存在します。
それが『平行世界』つまりパラレルワールドと呼ばれる概念。これは可能性という別のベクトルを得ているということがわかる概念と言えるのではないか、という話。


さて、個々のベクトルは独立しているので、どの組み合わせに対しても平面を作ることができます。
たとえば、横軸に時間、縦軸にxの位置をとれば、それはx軸をどのように移動したかわかるグラフが作れます。
このグラフの内容は、我々が「波」と呼んでいるものになるわけですね。今日あった地震なんかはx軸・y軸・z軸のそれぞれに対して時間軸を取って震度や地震の波形を測ることができるわけです。

では、可能性に対して軸は取れるでしょうか?
とれます。単純に考えてみれば、例えばある物体を5Nで押したという事象があったとします。
この5Nは0Nでも100Nでもよかったと、考えれば、その可能性とn秒後のx位置を軸で表すことはできます。
ただし、この不完全性はいくらでも指摘できるでしょう。可能性の存在は、因果関係に結びついてくることですし。
ですが、ベクトルとして用いることに不便はありません。状況を限定している限り、ベクトルとして機能します。


パラレルワールドを考えてみます。これは、現在の時間に固定し、その位置から可能性ベクトルで移動した位置に存在するものです。
パラレルワールドは平行世界と訳されるとおり、従来は『この世界と交わらない世界』と言われてきました。
しかし、可能性ベクトルはベクトルです。たとえ時間を固定せずとも存在しますし、交わるような線も必ず存在するはずです。
しかし、それはありえないこと。なぜなら、パラレルワールドには分岐点となった違う過去が存在するから。
だから、交わらない。それが、嘘トリック。


交わります。ただ、その時間ベクトルはともかく可能性ベクトルは我々には理解しづらいかもしれません。
例えば、ある人間が00年に死にました。しかし別の世界では05年まで生きています。この時、二つの世界を通るような線は存在するでしょうか?
信じられないかもしれませんが、答えはYESです。その一瞬だけを追うという前提なら、その交わる世界は確実に存在します。
例えば、00年に死んだ人が、蘇生して生き返って、05年に生きている。これだけならまだ納得できますよね?前提が崩れてるように感じるかもしれませんけど。
でも、これはどうですか?00年に死んだ人は実は宇宙人にコピーされていて、05年の時にそのコピーされた存在はあたかも生きているようにふるまっている。これもまた、理解されないかもしれませんが、答えの1つです。
それが、物質のどんな細かい部分まで追求して一致しているなら、それは存在したことなのです。一致するはずがない、記憶があるじゃないか、と思うかもしれません。
なら記憶を一致させてしまえばいい。ありえないような理由が、ありえないような偶然が重なってまったく同じ記憶がすべての人間に対して、その一瞬だけ通じれば十分なのです。
それだけありえないような偶然が起こるということがおかしいかもしれませんが、それはそれだけ可能性ベクトル上で離れた地点にあったということに過ぎません。

ヤマモトヨーコの話では、観測者が観測した瞬間に、その世界は別のベクトルをとるとかいう理論で誤魔化していましたが、純粋に結果だけを求めれば上の通りなわけです。
起こり得なくても、起こる可能性を辿れば0ではない。であれば、可能性ベクトルは存在し、時間と可能性をあわせた時間平面は存在する。
いかに起こりえない、といったところでね。それはよくよく考えれば、普通のグラフにもいえることです。線分ABと線分CDの交点Eを示しなさいといわれた時、交点Eの存在する範囲は答えられますが、存在する点は答えることができません。それは限りなく0に近い大きさだからです。
つまりは、可能性もそういうこと。完全に交わる点を示すことは普通に考えれば土台無理で、考えられないような奇跡が起こり続けた可能性の中には確実に存在する。

世界単位で考えるから難しいのであって、本来可能性ベクトルは非常に限定された部分で考えれば難しいことではありません。これはシミュレーションなども可能性ベクトルに基づいたものであると考えることができます。
グラフだって厳密な線はひけません。シャーペンの芯の太さは0.5mmか、細くても0.3mmぐらいでしょう?それでグラフなんて書けるわけないんですよ。
だから難しく考える必要はない。意識してないだけで、可能性ベクトルは普段から存在しているもの。

可能性ベクトル。
これは、きっと小説とすごく密接な関係にあるんじゃないかと思います。
わかってもらえるかな?

2005年07月23日

記憶アルゴリズム

ものごとをボーっと考えてるとふと思いつく事がある。
大抵馬鹿らしいことなのだが、こういう思いつきは重要なんじゃないかなと思う。

ゆえに、これも馬鹿らしいことなんだが。
人工知能における記憶アルゴリズムを考えてみた。
ただ、考えただけである。詳細は書かない。
きっと似たようなことは誰かが考えているだろうし、万に一つもないがここで公開してそれが実際にどっかで開発されたら悔しいとこもある。
ゆえに、興味を持った人はリアルにしろメールにしろ直接聞いて欲しい。正直俺みたいなやつの言うことに本気で相手するほうが無駄だとは思うが。


この記憶アルゴリズムの特徴は、「忘れる・思い出す」という要素を最初から持っているということである。
ゆえに計算機で扱うには、本来不適切なアルゴリズムである。忘れるということは、探索が不完全なのである。
ただし、人間のように繰り返し学習することで、記憶は洗練されていく。記憶が定着すれば、そう簡単に忘れる事が無い。
また、印象の強いものは一度で定着し、忘れづらい。そういったものも再現するように考えた。
記憶から他の記憶を呼び起こすような「連想」を行うことができる。
自分が知っている記憶システムの類は少ないが、おそらくかなり人間に近い記憶メカニズムとなっている。

探索にかかる計算量は記憶要素の量に左右されないので、計算量のオーダーはO(1)である。
また、記憶保存にかかる計算量もO(1)である。
ただし、当たり前だがどちらもハッシュみたいな超単純なアルゴリズムに比べると格段に遅い。
記憶のほうが計算量は大きくなると考えられる。

問題は、整理を行うアルゴリズムに工夫が必要なこと、そしてなにより十分な性能を発揮するには巨大な記憶容量が必要になるかもしれないことである。

これを考える上でいくつかのことを参考にした。一番参考になったものはあえて伏せるが、二番目を言うなれば認知科学の授業で聞いた「超記憶者」に関すること。彼らは物事を忘れることはないが、逆に思い出す事も苦手だ。なぜなら、彼は記憶に溺れていて、必要な情報を取り出す術がないからである。そして記憶を消すには、その情報を導出し、頭の中のイメージでそれをゴミ箱に捨てる、燃やすなどの行動をしなければならないという。


まぁ、いろいろ述べたところで、きっと役立つことの無い思いつきだと思っている。
当然のように、検証はほとんどしていない。もしかしたらと思ってメモっただけの話。
なにか感想や意見があればコメントにどうぞ。

2005年07月14日

「絵」

昔から、絵というかイラストの類は見るのは好きなほうだと思う。
それでいて、自分はかなり好みかどうかで判断する。そして本気で苦手な絵柄は見たくないと感じる。

絵が好きだから、絵を描きたいを思った事は実は昔から結構ある。
でも、自分の描いた絵のへたれっぷりに耐えられないのである。
練習しないとうまくなれないのは当たり前で、へたれなのは当たり前なんだけど、わかってるんだけど自分の絵のへたれっぷりがとてつもなく嫌なのである。
そりゃなんに関してもそうなんだろうけど、特に絵は「見たくない」。
あるいは俺が小説を書き始めた要因の一つでもあろう、俺の絵描きたくない症候群は。

もともと漫画とか好き。でも今は自分の部屋に1冊も無い。
でもこれは、ある種見切りをつけたようなもんで、単に漫画を買うのをやめただけ。
実際買い始めたら普通に集めるだろうしね。
でも特別強く読みたい漫画も今ないわけで。
強いて言えばデスノートは気に入ったので読めなくなると困るが、今のところ友達から借りれるので問題ない(ぇ
まぁ少し余談が過ぎた。単に小説を書き始めた動機は漫画やゲームの絵とシナリオのうち絵がダメだからシナリオを取っただけにすぎない、という話。


とにかく絵は好きだと思う。人並みかどうかも知らんが好きだ。でも芸術には興味ない。
そんな一般少年がまぁ、いわゆる萌え系統にねじれて行くのもある種自然なもんだと思う。自己弁護じゃなくてw
そりゃ環境のせいとかにはできるけど、根本的に俺の女の子に対する興味は少なくとも3才ごろから自覚していたので、そういう問題だと思う。
まぁあれだ。2次元に萌えるとか以前に、女好きなので3次元>2次元の順位で萌えてるだけ。
一般的なのかどうかはわからないけど、近頃は珍しくない話だろう。

それで壁紙収集という変な趣味が芽生えたわけですが。
当時気に入ってた種別の壁紙を片っ端から集めて、あとで仕分けするという作業をした。
ジャンルは大きく分けて、メカ&ロボ、萌え、風景、気に入ったCG系など。風景は少ないかな。
そういった壁紙画像を割と大く集め、ざっと千枚を超えた。
基準サイズはXGA(1024x768)で、無いものに関してはばらつく。


まぁそういった画像収集を気が向いたときにやっていた、3年ほど前から2年半ほど前だろうか。
DLツールのIrvineで保存してあった画像の仕分けをしていた時に一枚の画像が目に止まった。
正直、それまでとは違う意味で本気で気に入ってしまった。


ジャンル的には萌え系統の画像である。ゆえに、細かい描写は避けさせていただきたい。恥ずかしいんで。
とにかく、背景が夕焼けの女の子の絵である。
ある意味、初めて芸術的な意味か、それに近い意味で気に入った絵である。
画像自体はCGなのだろうが、普通の絵に近いような書きかたである。そういうのに疎いのでよくわからないが、多分油絵っぽい感じなんだろう。
萌えとか、便宜上よく使う言葉で曖昧だが、明らかにそれだけで言い表せるものではなかった。
もちろん描かれている女の子は可愛かったが、それだけで気に入ったわけじゃない。
そもそも自分は萌へ萌へで突っ走れる人間じゃないしw
とにかく、絵全体で気に入ったのである。

その絵に関して、結局今までまともに誰かに話したことは一度も無い。
本気で気に入ってしまったので、むしろそれをマジで言うのが恥ずかしいと言うか。
ゆえに、そのまんま過ぎて行くだろうと思った。
だけど、とにかく描いた人は気になる。
詳しい奴に聞けばわかるのかもしれないけど、やはりそれが嫌だったので、できるだけ自分で見つけようと試みた。
萌え絵に分類されるのだから、当然そっち系の情報で多少は手がかりは得られるかもしれない。
幸い、同人屋などは自分から行かずとも友達に引っ張り込まれるのである。
ただ、1枚しか見てないのだから、絵柄から判別できる自信はなかった。
一応それらしきものは見つけたのだが、全然確信がもてなかった。
(ちなみに持ってた絵の端にサインがあることに後から気づいた。否、気づいていたけど忘れてた。)


そんなこんなで、元々血眼で探してたわけでもなし、まぁ別にいっかと過ごしていた今日この頃。
友達にたまたま教えてもらった画像掲示板。
ふと思い立って、そこの詳細希望スレに投稿してみる。
……あっさり判明した。

そゆわけで、その人のHPに辿りつき、例の絵も置かれていた。
ついでに、同人屋で見つけたものも正解だったことがわかった。わりと自分の目は腐ってなかった。


そゆわけでここ数日、密かにちょっとだけテンション上がってます。
さすがにその人の全ての絵を気に入るということもないけど、やっぱり似たようなタイプの絵があってそういうのは思いっきりヒット。

もちろん、ここまで語っといて具体的なことに関しては語りません。
人に薦めてその絵を見させても同じ感想を抱くわけでもないだろうし、薦めたいという気持ちも特になく。
ただ、その人の絵が見れただけで自分がちょっぴり幸せなのでそれで十分です。

2005年07月08日

就職ガイダンスの反響

緑翠んとこと、エルゴんとこが、どっちも書いてるので真新しさがないのだが。
つうか、書くつもりだったので不可避でそのまま書きますが。
学部3年生なので、就職ガイダンスがありました。正直、結構遅いです。まぁいいけど、理系だし。

就職ガイダンスの話、いろいろと再認識する部分が多かったです。おぼろげに知ってることがほとんどだったけど、まぁ説明という形では今まで得てなかったことだから。
そゆわけで、例の「キャリア・アプローチ」と題された、適性検査用紙において他の人より特徴のある結果になっています。

まず、準備段階がA~Eの中でBに到達していること。大体の人がD、高くてCというのが一通り覗き見(コラ)した感じの状態だったので。
これは、去年から就職に関しておぼろげながら考えていたからという背景があるわけです。むしろ大学1年が終わったぐらいから密かにいろいろと考えてたのが事実。
かといって、調べ始めたのは最近ですが、まぁそれもインターンの催促が親からあったというのも大きいですな。このへん、環境の違いだと思う。
正直、首都圏出身の俺と、名古屋圏が近い(その範囲内出身の人もちらほら)とでは、どうしても差があるみたいです。なんだかんだで、首都圏はせかせかしてるから。首都圏でものんびりしてる人なんかいくらでもいますが、まぁ周囲の環境として地元の話やらなんやらであるわけですよ。
まぁ、今日の話でそのへん「ちくりん」も言っておりましたが。


さて、結果ですが、前述した他の二人に対してはほぼ正反対の状態ですね。
自己分析能力は基本的に前から高いし、就職に関してはいろいろと興味で調べてたので就業意欲や適正も高めです。
『矯正』ポジティブシンキングな性格もそのへんに出てるような気もしますけど。
選職志向で「ベンチャー」がなんか高いのは仕様です。
性格の欄の微妙なバランスの良さはどーなんだろと思うけど、まぁそーゆーもんかな。

……こうやって全部書いていくのも馬鹿らしいので突っ込みたいところを。
社会的強みの欄。1~5のランク評価なんですが。
自己統制力が限りなく1に近い2なのは、まぁよしとして。
創造的態度3。

オキョ━━━━ヾ(。∀゚)ノ゙━━━━!!!!
orz orz orz

ぇーw
これちょっとショッキングw 自分的にはショッキングw
いや、真ん中なんだけどさ。分布の範囲が大体3~5だから、相対的に見ると低くて萎えます。
そうだね、もしかしたら適性はあまりないのかもしれない つд`)
文章の表現力が優れている、というのはまぁ救いなのかもしれませんけど。


えぇぃ、この程度のテストで実際問題そっちの適性がわかるわけでもないしっ!
あーでも、ちとショックでした。


最後に。
自分の就きたい職業の欄で、一番低かったもの。それは「社会福祉」でした。
時人に怒られそうだw

2005年07月07日

手で書く

友達なら大体知ってると思いますが、自分はノート取るのがかなり下手です。
書き方もいい加減で、詰めて書くし、そもそも面倒くさがってノート取らないことも多く。
これはもちろん、昔からのことで、それが今までずっと続いてるわけです。
そんな自分が語るのもなんかなぁと思いますが、「紙に手で書く事について」


電子媒体が普及する昨今、年齢層が上がるほど紙に物を書く機会なんかも減ってくる傾向にあるんじゃないかと思いますが、やっぱ紙に書くというのは重要だと思うのですよ。
むしろ紙に書かない、と言う事がよろしくない。大体、簡単なメモぐらいは取る人は多いかもしれないけど、それ以上には使わないのではないでしょうか。
でも紙って人間にとってかなり有用な万能記憶領域なわけで。簡単なメモだけに限定するのも勿体ないですよん。

そこはかとなく、考えたことを細かい理屈抜きに紙に書いてみるのはいいんじゃないかと思います。
できれば、単色ではなくカラーペンなどを用意しておくと吉。
それで、適当に領域を区切って、そこに文字を書いてそれを図にする。
これがいいネタ帳になります。話のネタのみならず、いろんな発想の原点になるしね。

本来、勉強で使うノートも同じような感じに書くべきなんですよね。
先生が丁寧に赤線引いたりしてるんだから、それもうまく書く事、行間を適度に開け、詰め込まない、そんなことは理解はしてるんです。
それでも今さら直すには矯正という訓練が必要になります。ノートをそのように素直に書くという行為ができなくなっているのですから。
逆に、今PC上ではそれらのことができるわけで。特にHTMLで記述する時には、適度に見やすい形を保つことができるし。

まぁあれだな。小学校の教育ってやっぱり、現場でもっと見直したほうがいいと思うんだよね~、いろいろと。今回のも一例。ノートがうまく書けるかかけないかって教育全体を通してかなり重要だと思う。ただ綺麗に書くだけってのじゃダメだけど。
綺麗に書く、よりも整理して書く、というのが重要。
あと「イメージ的に」書けると理想だけど、さすがにこれはノートの書き方というより先生の黒板の使い方に依存される部分が大きい。


まぁプログラミングできない人にはよく言ってますが、とにかく紙に書くのがいい。
頭で考えている内容は、あくまで一時的なものでイメージを維持するのは難しいです。
もちろん、それが確定的なイメージなら何度でも再構成できるだろうけど、少しでも不確定な部分があると曖昧な部分があって、それによってうまくできなかったり、あるいは出来ても曖昧な部分を無視して失敗したりする。
人間の認知において「知識」と「イメージ」の関係はかなり重要で、紙にまとめるのは非常に理にかなった行為なのですよ。
プログラミングで例えると、紙に書かないでやるのはアセンブル、書くのはVB。それぐらい違う。
とにかくわからなくなったり行き詰ったら、構造図を書いたり、処理を手でなぞったりするのが無難だし、確実だし、良いものができる下地となります。


いろいろと、実務的な面を中心とした書きかたになったけど、これは悩み事とかでも有効。
悩んだ時には、悩んでることを書く!
例えば、人間関係で悩んでるなら、まず対象の名前なんかを書いて、なにに困っているのか、どういう問題があるのか、何がしたいのか、何を言いたいのか、そういったことを思いつく端からざーっと書いてしまう。
それを残しておく必要はないけど、なにか悩むならそれを書いてみることで、頭の中に留めていたものがまとまって、打開策を見つける事ができるかもしれない。
リストアップすることで、見落としてた事が見つかるかもしれない。誰に相談するとか、どういう行動をするとか、そういったこともたくさん書ける。ただ頭で悩むときもたくさんあるだろうけど、あえて書いてみるのも手なのです。


まぁ色々よくわからない方向に行ったけど、少なくとも人間の思考においては良い手法であるということを考えると、積極的に書くべきではないでしょーか。
という提案。そして自分もそうすべきだと思うのですが。
まぁ困った時は紙頼みでやってます。

やり方は人それぞれだけど、なにかしら詳しい方法が知りたかったらコメントくれれば、提示しますよん。
あとは「世界一受けたい授業」あたりでも、そういった話があったので参考に。

2005年07月04日

創造力(1)

友人から借りた小説を最後まで読むことには読んだんですが、どうも肌に合いませんでした。前回のアレのほうが自分的には面白かった。痛々しいけど。

さて。
創造力について。そもそも、創造ってなんでしょうかという話から。

そうぞう さうざう 0 【創造】


(名)スル
(1)それまでなかったものを初めてつくり出すこと。
「―力」「白爾(べル)は蒸気船を―せし人なり/西国立志編(正直)」
(2)神が万物をつくること。
「天地―」「―物」

三省堂「大辞林 第二版」より


ということは、つまり(1)においては「発明」とほとんど似たような意味。
(2)は「神」と言う前提がある。創造とはすなわち概念的な大元を作り出すことで、この場合は創造者≒神という図式が基本的にはあるようだ。

では、創作とは何か。

そうさく さう― 0 【創作】


(名)スル
(1)それまでなかったものを初めてつくりだすこと。
(2)翻訳などに対して、作家の主体的創造力によって芸術作品をつくりだすこと。また、その作品。
「―活動」
(3)事実でなく想像によってつくりだすこと。また、その話など。
「苦しまぎれに―した話」

三省堂「大辞林 第二版」より


(1)は創造の(1)と同様に発明に近いが、こちらで使われる場合は「創作料理」など、特定ジャンル内での開拓で多いか。
(2)はイマイチ意味がつかめない。一見、二次創作などかと思ったがそれは(3)のようである。謎だが、今回は創造の話なのでどうでもよろしい(ぉ
まぁ(3)が完全に適当な想像における創作であるのにたいし、(2)は既存のものに対する創作と捉える事はできるかもしれない。説明文で「創造」という言葉を使ってる時点で、かなり矛盾を感じるのだがそれも斬り捨てる。


基本的に、絵を描く、曲を作る、文章を書く、などの手段は「創作」になる。
では、プログラミングはどうだろう? 上3つが趣味なのに対し、プログラミングは実用という側面を十分に持っている。これは創作に入るのだろうか?
試しにぐぐってみました。

「創造 プログラミング」 約97,800件
http://www.google.com/search?num=50&lr=lang_ja&q=%E5%89%B5%E9%80%A0+%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0&lr=
「創作 プログラミング」 約42,200件
http://www.google.com/search?num=50&hl=ja&ie=Shift_JIS&q=%91n%8D%EC+%83v%83%8D%83O%83%89%83%7E%83%93%83O&lr=

どちらも数は多い。Hit数は創造のほうが多く、一般的に創作と捉えられることが少ないのではないか。
これはどうなんだろう。プログラミングは実用的だから創造的とでも言うのか?


もう一度定義に戻ってみよう。
創造とは、発明であるか、新しい概念そのものを構築したりしたときなどに用いられるのが適切と考えられる。
であれば、プログラミングはそのどちらかと言われれば、どちらも違うと言える。
この定義の上では明らかにおかしいだろう。
なのに、プログラミングが「創造」と関わるのは何故か?
ここで出てくるのが、(2)の神≒創造者の部分である。


さて、「世界を作る」、とは言わない。世界は「創る」ものなのである。
つまり、プログラミングは動作を定義し、処理を行うソフトを作るが、このソフトこそがある種の「世界」になると捉える事ができるのである。
プログラミングによって与えられるのは、法則であり、世界は様々な法則によってなりたっている。物理法則などがそうだ。
だが、世界を創るという意味では、プログラミングは中途半端だろう。なぜなら、あくまでそれは法則という枠を作るだけだからだ。
世界を創る。それに一番ふさわしいのは、「意味」なのである。その世界を定義しているプログラムはあくまでも、その世界を定義させられたというのが正しいのではないか。
世界を創るのはやはり言葉、そしてそれをあえて表現するなら文章そのものだろう。

創造力とはなんだろうか。
続きはまた気が向いたときに。

2005年05月23日

研究とか就職とか

もう今年で21歳ですよ。ちょっとおっさんですよ。
というわけで、ぼちぼち進路を考えなきゃなぁとは思うわけで。
夏休みにはインターシップで、どっかの企業行ってみるわけですけど。そもそも俺の方向性ってなんだと。

月曜日は、毎週外部の人を呼んで講義してもらってます。中小企業の社長なんかも来ます。
面白い人、つまんない人いるけど、まぁいろいろ考えさせられるのは確か。今日は…面白いということはなかったなぁ、あまり。


方向性、か。
とりあえず、見ての通りネットにはどっぷりです。サイトはムダに何度も立ち上げてるしね。
2chとかも普段行く事はないけど、まぁある程度必要な経験値は積んでるかな。

見ての通り、ゲーム好きも相変わらずだしね。これも方面としてはありえないわけじゃない。
今はCGIゲームだけど、あれは単独でも気軽に作れるからってところが大きいね。
自分は雑食で、ゲームのジャンルは問わずやってます。アクションが比較的好きかな。

まぁあと文章は書くのそれなりに得意ですね、こういった雑記に関わらず。
でも事務仕事の類はあまり向いてない。まず向いてないと思う。頭捻るのはよくても、単純作業は苦手。

情報のほうに戻ると、今興味あるのは認知科学の方面ですね。中でも人工知能とか。
コスモとかね。人工知能に興味あるから書いたのか、あれ書いたから興味沸いたのか。
学問関連で興味があるとしたら、とりあえずそれぐらいじゃないかなぁ。


まぁ現段階で手がかりつったらそんなもんかな。研究室選ぶにしろ、その後どうするにしろね。
ネットワークの中身のほうはあまり興味ないし、やはり認知科学なのか。ゲームもあるけど…ねぇ?
どんなことやってんだろ、ゲームテーマにしてる研究室。就職がゲーム業界ってのも、あまりちょっと。悪いとは言わないけど。
まぁとりあえずここで多いのがSEか。システムエンジニア。どうなるんだろうねぇ。

本格的に考えるのは半年ぐらいあとだけど、いろいろと考えておいたほうがいいとは思うのですよ。

2005年05月11日

AI研究

MIT教授のミンスキーという教授が講演来たので出てみました。
この人、AI研究の第一人者というか、AI研究を最初に提唱した人です。
MITはマサチューセッツ工科大学のことね。理系では世界最高峰と言われてます。
まぁそんな人が来たんだから、せっかくだし聞いておきたいじゃない?
友達は皆帰ったけどねあっさりと。

内容すべて英語だったので、理解するのにマジで疲れました。さすがにネイティブスピードってほどじゃないけど、最初のゆっくりはどこへやら、途中から調子乗っていいペースで喋ってくれたんで、課題睡眠不足の頭では60/90分ぐらいが限界でした。
内容自体は、まぁ自分の期待過剰気味だったけど面白かったです。
英語で聞いたのそのままじゃ、理解があやふやな部分もあるので解釈した和文で内容書いてみます。

……先に言っておくけど、本当に間違いだらけになってしまう可能性もあるので鵜呑みにせずに。

AI研究の続きを読む

2005年04月29日

Wiki・Blog・BBS

タイトルに挙げた三つの共通点は見てわかるとおり、Webブラウザ上で投稿するツールであることである。
どれもテキストを書き、情報の提供を目的としていて、書かれたログはちゃんと残る。
ちょっと単純すぎて極端なものになるが、大体の概要をまとめてみる。
これは決して良い解釈とはいえないので注意。

逆順になるが一般への浸透性の高いものから。
BBS、つまり掲示板は『他者との対話』を目的としたツールである。
書き込みは誰でもでき、一度書いたものはそのままログとして保存されるのが一般的。
削除は投稿者か、掲示板の削除権限を持つ者のみ可能である。

ここでも使用しているBlogは『情報の掲載』を目的としたツールである。
書き込みは権限を持つものに限定され、閲覧者はそれに対してコメントやトラックバックを用いることが可能である。
このトラックバックは同種のコンテンツを探したり、情報ソースを参照する上で重要な役割を果たしている。

そしてWikiは『情報の統合』を目的としたツール。
誰でも自由に編集が可能で、編集内容はログとして保存される。
新たな情報を投稿することも、それを編集することも自由で、グループウェアと呼ばれる。


さて、見ての通り目的が全然違うものであるし、システムも違う。
それでもどこか似通った部分を持っているのも事実だ。
無論、求められている役割によってシステムは変わってくる。
しかし、これらのツール、互いに利点・欠点をちゃんと見てればより活かせるように思えるのだが。


とにかく自分が今感じているのは、Wikiというツールは使いにくい。
編集の手軽さや、システムには好感をもっているし、それこそがこのツールに最も求められている部分だろう。
しかし、Blogのような投稿の工夫もなければ、掲示板のような相手という概念も薄い。
この部分、まだまだ工夫の余地はある。だが、Wikiというシステムに取り組むのは容易ではないかもしれない。割とがちがちに作ってあるシステムだからだ。


Wikiに求められたグループウェアとしての役割、確かに果たしてはいる。
だが、正直使い勝手がよくない。掲示板並みに手軽に利用できて、初めて本来の価値がでるのである。
調べてないので、どうしてWikiが今のような形になったかはわからない。
ただ今は疑問に思っているだけ。
とにかく、よりよいグループウェアが今後登場することを期待する。