2006年09月19日

Fire Mission

今作は、以前に執筆した「Death Mission」の続編になっています。
単独でもシナリオとしては完結していますが、よければ先にDeath Missionをお読み下さい。

さて。
非常に分量が増えてしまいました。
そろそろ中編に手が届くか、という程度にまで膨れています。
無駄に多いのは行数ばかりな気がするけども。

では、どうぞ。
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あの事件から4ヶ月が過ぎた。
僕は、あれからも決して楽な日々は過ごせなかった。
 
タケは僕が反撃することを面白がって、逆に手を出すことに遠慮がなくなったような気がする。僕はむかついて、すぐ反撃するわけだが、かなうわけがない。
そんな僕をいたぶるのが好きでタケが手をだしている、というわけでもなかった。
以前のような扱いはされない。いや、むしろ今では祐司と一緒にタケをはめて遊んで、それでぶん殴られてということも平気でしてるぐらいだ。
パシりをさせられる頻度は極端に減った。無茶も言わなくなった。早い話、いじめられなくなった。
だから学校は……信じられないけど。
実はちょっぴり、楽しかった。
 
だけど、かつて祐司が言ってたとおり。
母さんは、すぐ泣く。妹はもう、最近笑うのを見た記憶がない。
父親という、あの男は。
飲む、殴る、わめく。それしかできない生き物だと思った。
ただ、僕が変わったから。祐司を見習って知恵を凝らして、できるだけとばっちりは喰らわないように逃げるのはうまくなった。
今は父親より、母さんのほうがキツイ。
正直、あの人の泣き方にはうんざりしていた。
家にいるのは、辛い。
 
今でも本当に楽しみなことは1つだ。
土曜日。ほんとはしちゃいけないバイト。酒屋で、僕は働いていた。
家に居るのが億劫なので、日曜日もできるだけ入れてもらえるようにしてもらった。
おかげで実は最近、懐も温まってきてる。あの事件の前は考えられなかったことだ。
ハタさんは、まぁバイト時間を増やすことに少し悩んだようだ。普段はハタさんが一人でこのお店を全部やってる。
しかし正直なところ……今の時節、なかなか売れていない、という感じだ。
僕が日曜日に入るようになり、酒屋は営業を原則無休に変更した。土日にハタさんは僕に任せて休むことにしたらしい。
迷惑をかけてるかもしれないと、思って言った事はあったけど。ハタさんは、それはそれで構わないと笑ってくれた。
そんな事を考えていると、がらっと音がした。いつもの時間だ。
「修一、いるか?」
「はいはい。コーラでしょ」
「おう」
祐司だ。土曜の夕方になると、毎週こうやって祐司が立ち寄って、コーラのボトルを買って行く。
詳しく聞いたことないけど、祐司は土日はいつも忙しいようだ。
土曜はこうして、なにかを終えて帰りに僕が働いている酒屋に寄り道しているらしい。
しかも、たまに喉を枯らせたような状態の時もある。
前に、
「合唱でもやってるの?」
と聞いたことがあるが、
「違えよバカ」
と一蹴された。それを言った後はしばらく不機嫌そうだった。
今日の祐司は、その時とは対照的にちょっと機嫌よさそうだった。
「どうしたの祐司? なんか機嫌よさそうだよ」
「ああ。そういやさ、文化祭ってあったよな」
「うん、来月だよね」
「ちょっと面白い話があってな。そういうわけで俺はちょっと機嫌がいい」
「へえ」
珍しい。
この変人はいつも日常に退屈して、暇つぶしにわけのわからないことを画策することだけが楽しみだと思っていたのだが。
「なんだその顔は」
「変なことを思いついたならともかく、人に誘われたかなにかで機嫌よくなるなんて珍しいなと」
腹に軽く拳がめり込んだ。
僕はごほっと一息だして、
「なにすんだよ!」
おもっきり足を振り上げた。
だが、祐司はさっと横に避けて僕の足をつかんだ。
「は、放せよ!」
「おい、暴れんな!俺弁償しねえからな」
はっと気づくと、そういえば店内だった。そもそもあまり広くない店のなかで、こっちを先に殴ってきたのは祐司なんだけど、仕方なく引く。
「つまんねえなぁ」
「無理いうなよ!」
にやにやしている祐司。下手に手だして物を壊したら大変だが、ムカつく。
ムカついたので、手元にあった瓶を開けた。
「お、おい。それ酒だろ」
「知ってる」
ハタさんがよく飲んでる安酒だ。値段もちゃんと把握してる。
僕はそれをぐいっと煽った。
「ぐえほはっ」
盛大にむせた。
「汚ねっ」
避ける祐司。
吐き出したのに、少し入り込んだアルコールで頭が少しクラクラし、熱さと気持ち悪さを覚える。
「うえ」
「お前、ほんと無茶好きだな」
「半分以上祐司のせいだ」
「ヒッヒッヒ。お前は面白いから好きだぜ」
そういうと、祐司は僕の手から瓶をひったくり、ぐびっと飲んだ。
「うひ」
変な声をもらして、瓶をドンとレジの横に置く。
「くああぁ、酒ってくるなぁぁ」
「そりゃそうだよ」
二人とも多めに飲んだとは言っても一口だ。
よく大人はこんなものを水みたいに飲めるもんだと思う。
「かぁぁぁ、くそ、なんかふらっとするぞ」
「僕も…」
そのまま祐司は床に座り込んでしまった。
「くひひひ」
……気色の悪い笑い声つきで。全く、よくそんな声が普通にでるもんだ。
僕も立ってるのが少し辛いので、対面に座る。
「そうだな、酒飲んで気分もよくなってるから特別に教えてやる」
「なんだよ、偉そうに」
「お前、俺が偉くないとでも思ってるのか」
なにが言いたいんだこいつは。
「当然」
「はっ! いいけどよ、お前感謝の気持ちってやつは持ったほうがいいぜ」
「感謝はまぁ…するけど、誰が偉いって?」
「ちっ」
祐司が手を伸ばす。だが、その手は宙をかいた。届いてない。
その手の先をみると、机の上の酒瓶が見えた。さっきのやつだ。仕方ないので、こちらから手を伸ばして取って渡してやる。
祐司はそれを掴むと、またぐいっとあおった。全く懲りない奴だ。
「ぐ」
少し反応するものの、僕みたいにむせたりはしない。やせ我慢だろう。その証拠に少し顔がひきつってる。
「無理するなって、祐司」
「…べ、別にこれぐらい平気だっ!」
と、いきなり祐司が僕の肩を掴んだ。
結構強い力で握ってきて、痛い。思わず肩に力を込めて振りほどこうとするが、
「いいか、聞け」
そう言われては、少々痛くても抵抗をやめるしかない。
「教えてやるから誰にも言うな。言ったら俺の考えられる限り残酷な手段でお前をいたぶってやる、いいな」
「っ…! ……じゃあ僕に言うなよ……」
反射的に言葉は出たが、聞いた瞬間に怖気が走る祐司の言葉。
祐司は知ってる。僕の今を崩す方法を。全て知ってる。
なぜなら、今僕がこうしているのは、祐司のおかげだからだ。悔しいけど。
そしてそれ以上のことを知ってる。家族のこと、きっと家族の細かい事も祐司がその気になればわかるはずだ。
どうしてそんなスパイじみた真似ができるのか知らないけど、祐司はそういうやつだった。
「いいから聞け。そして黙れ。誰にも言うな。いいな」
祐司の目は怖かった。怖いぐらい真剣なのだと、その直後にわかった。
僕は、否定の言葉を出したかったが、思わず首は縦に振ってしまっていた。
しまった。
僕は、またしても悪魔の言葉を聴かなければならないのか。
それは、確かに僕にとっては非常な誘惑をもつものだが、こいつのやることはなにをとってもろくなものではない。
そう確信しているからこそ、迂闊に首を縦に振るなど許されることじゃないのに……!
祐司の口が動き出す。
「俺な」
僕は思わず目をつぶった。
「実は劇団入ってるんだ」
僕は身を縮め、その後に続くであろう悪魔の言葉を待った。
しかし、なぜか祐司は何も言わない。
僕は頭の中で繰り返してみた。
(俺な、実は劇団入ってるんだ)
ここのどこに、なんの意味が込められているのだろうか。
「おい、修一。なにやってんだ」
目を開けた。
もう一度意味を理解しようとしてみる。
劇団に入ってる。
「は?」
「は?とはなんだ。聞いてなかったのかこのバカ」
「いや、聞いてたけど」
うん、聞いてたけど。
意味は、今ようやくわかったけど。
「え、なんで?」
「なんでってそりゃ……いや」
「そんなに隠すことなの?」
「ば、バカ野郎! 隠すに決まってるだろう、恥ずかしいじゃねぇか!」
「ほへ?」
わからない。それ以上に、こんなにてんぱってる祐司を見るのは初めてだ。
っていうか、祐司ってこんなに慌てるんだなぁ、とふと思ってしまう。
すると、肩を掴んでた手が首に回ってくる。
「言・う・な・よ!」
ぐっと首を絞めながら言う祐司。
いや苦しい。やめて、ほんと苦しいから。
食い込む指に、さすがに僕は焦るが声がでない。
思わず手でタップした。
「わかったか!?」
僕はもっと激しく手を叩いた。
「返事しやがれこの野郎!」
できるかこのバカ!
僕は手で必死にジェスチャーした。
しかし、通じないのか祐司の手は緩まない。
苦しい、呼吸ができない。
意識が朦朧とし始める。ダメだ、本当にやばい。
僕は視線をさまよわせた。酒瓶。もはや思考はなく、反射的にそれを掴む。
そのまま、その瓶の口を祐司に押し付ける。
ガツっと音がして、祐司の歯に瓶はぶつかった。
思わず祐司はのけぞり、僕は解放された。
「げほっ」
息を吸おうとして、咳き込む。
首が痛い。よほど本気で首を絞めてくれたようだ。
「なにしやがる!」
「こっちのセリフ……」
かすれ声しかでなかった。
くそ、本当に酔ってるなこいつ。
「わかった、わかったからマジで首絞めるのはやめて。本当死ぬから」
「あ、わりぃ」
ダメだ、祐司に酒飲ますと加減がなくなる……。ついでに脳ミソも余計いっちゃってる。
元が酷いからあんまり変わらないかもしれないけど、少しは様子ぐらい察してくれ。
「で、僕にそれ言ってどうするわけ」
「なんだよ、連れないやつだ。気にしてるだろうと思ってせっかく言ってやったのに」
「ああ、でもなんかわかった気がする」
どうも祐司はいつも、動作が芝居がかってるのだ。大げさというか、そういうキャラクターになりきってしまうというか。
素でそういう性格なんだろうけど、確かにそのままお芝居には向いていそうだと思う。
「んで、いい話ってのは、ちょっと文化祭で演劇部のほうに助力求められてな。学校のやつらにばれるなんて断固ごめんだし、所詮中学の劇だろ?だけど、転がってきた話がちょっと違うんだ」
「へぇ、どんな話さ?」
「演出とか舞台効果やってくれってよ。あの花火が俺らの仕業っていうのはもう全校生徒に知れ渡ってるからな。ひっひっひ」
あれは共犯といえば共犯だけど、どう考えても9割以上こいつのせいだ。
悪魔め。
「でも、花火だけでよく認められたね」
「あのな。あの花火の仕掛けをどれだけ俺が綿密に設計して仕掛けたと思ってやがる。満遍なくすべての教室で綺麗に見えるようにしたんだぞ。うちの教室だけ出血大サービスだったが」
確かに、あの花火は随分と綺麗だった。しかも、かなり危険な仕掛けに見えて、実はターゲットのタケを除けば誰一人ケガしていない。
「でも、考えてみたらあんなもの、よく調達できたね?」
「あまりものを少しずつ集めておいたものさ。あれだけ派手にやらかせたから、満足だ」
「あまりもの?」
「親父の仕事でな、ああいうのをちょこちょこ使ってるんだ」
花火屋、というよりさっきの話のような舞台演出などだろうか。
「じゃあ、今回の話って」
「まぁ認める。親父の仕事は手伝ってて面倒だが楽しいしな」
そっか。
 
急に祐司を見ていられなくなった。
そんな風に父親を見れる祐司が、羨ましい。
僕の父親は……ああいう生き物だから。飲む、殴る、わめく。
家に帰る事が嫌な僕には、少し妬ましいぐらい、祐司が幸せそうに見えた。
「修一。お前な」
「なんだよ」
「別に。言いたい事があれば言えってだけだ」
僕は酒瓶を掴んだ。最初の半分近くまで減っていた。
僕はまたそれを一気にあおる。
「ぶ」
抑える。
さらにもう一回飲む。
「おい」
今度は全くむせずに済んだ。喉の奥は熱くて、体もふらついてくる。
瓶を横に置いた。
世界が少し歪んで見える。
「無理しすぎだろ、いくらなんでも」
「べつに」
僕は、ゆったりと体を揺らし、
「最低の父親と、比べたってしかたないから」
「お前の父親ってなにやってんの」
「地上げ屋」
「じあげや?」
「まぁ、早い話がヤクザみたいなもんだよ。一応、不動産とかなんからしいけど……」
僕も仕事のことはよく知らない。知っても仕方ないからだ。ただ、あまりよくないことをやってるのは知ってた。
「最近は全く儲からないんだってさ。いっそ会社潰れちゃえばって思ったけど、潰れたってきっと変わらないし酷くなるだけだね」
「ふーん」
祐司は余計なことを言わない。
それがありがたかった。いつもの祐司なら平気で言ってくるんだが。
「知ってるんだ。母さん、もうじき家でていくつもりなんだって。隠れてこそこそお金溜めてるの、僕知ってるから。でも僕と妹を連れて行く気はないみたい。僕たちは、あの父親が居る限りこのまま」
それに、正直母親とはもう一緒に居たくない。あの人は、ほんとは自分のことしか考えていないのも、僕はよく知ってる。
では妹はどうか。妹も、僕も、お互いに頼りにできない。僕達子供は、自分の身を守る術を身につけるだけだ。ただ、まだ一番近くに居て安心する相手ではあると思う。僕も、妹も。でも頼りはしない、頼れると思っていない。なにもできないことには変わらないから。ただ、同じ立場だという、それだけ。
「家庭崩壊、か。まぁ聞く話ではあるよな」
祐司は事もなげに言ってみせた。
所詮、他人事でしかない。腹は立つが、逆に変なこと言われるほうがもっと嫌だ。
「中学生って不便だよね。家を出ようにも出れるわけでもないし。ほんと嫌になるよ、この生活」
「家を出る、か。じゃあなんだ。中学卒業したら就職するつもりなのか、お前」
「高校に行きたくてもどうせ行けないし、僕はなにより家から出たいから」
「へぇ」
祐司は気のない返事をして、半分以上飲み干した瓶を見る。
僕もつられて瓶を見る。
無色のそれは、瓶のラベルがなければ水といわれても不思議に思わないだろう。
とはいえそれは見た目の話。さっきからアルコール臭さは漂ってる。
「修一が簡単に就職できるとも思えないけどな」
むかついた。
むかついたので、酒の瓶を思いっきり祐司の顔の前に突き出してやった。
祐司はそれを受け取ると、またぐいっと飲み込んだ。
「へっ」
と一声残して。
すると、僕に瓶を押し付け返してきた。
僕もそれに応じて受け取り、大きく息を吸って、
ぐいっとまた一気に飲んだ。
「ふひひ、なんだ、度胸据わってくるようになったじゃねぇか」
「おかげさまでね」
僕は表情を変えずに言った。
「ふん。お前の人生なんぞしらねぇよ」
祐司が言い放った。
「この前は俺が楽しかったから乗ってやったけど、お前の家族のことは俺も知ってるけど、なんか派手にやらかしてどうにかなるようなもんじゃねぇだろ」
別に祐司になにかを期待していたつもりはなかった。
だけど、その言葉を聞いて僕は
「…そうだよね」
と力なく応じていた。
きっと、祐司なら。
ちょっと、そう思ってたんだろう。
そんな勝手な期待をしていた自分にも腹が立つ。
「どうしようもないんだ。今の僕には。だから、出れるようになったらすぐにでも出ていく。僕にはそれしか考えられない」
「お前も変な家庭に生まれたもんだよな。そのくせ、ひねくれちゃいるが悪い事はしたがらねぇ。ある意味では立派なもんだ」
その時、僕は、
「え?」
なにかとてもよくない考えを思いついてしまった。
 
「なんだ?」
そうだ。
そうなんだよな。
今、家を出れる方法はある。
僕が考えなかっただけで、あるんだ。
「おい、なにを考えてる?」
祐司の声に
「別に?」
と僕は応じた。
祐司に説明する気にはならなかったから。
そうだ、確かに家を抜け出す事はできる。簡単な話だ。
あと1年半もこのまま、あんなところに拘束され続けるなんてまっぴらごめんだ。
それだったら。
家を出させられる状況を作ればいい。
「おい、バカ修一。本当になにを考えてるんだ? ろくなこと考えてる時の顔じゃねぇぞそれは」
「ほっとけよ」
祐司は、なんだかんだで本当に悪い事はできない人間だ。
だから言っても仕方ない。
「おい!」
酔いが回って力の入らない体が、ふと浮いたような感覚にとらわれる。
首が絞まる。
祐司が、僕の首元を掴んでもちあげていた。
「いい加減にしやがれ!」
横に視線が移る。
衝撃は、まず頭の中に来て、そのあとぶつかった顔の左側が痛くなった。
クラクラする。
めまいがする。
動けない。
「お前のその顔、俺は見覚えあるぞ。俺がお前を乗せたときの顔だ。俺もイカレた頭してるが、お前ほどじゃねぇ。本当にやるからな、お前は!」
祐司は、しかし悪魔のはずだった。
僕を導いた悪魔。
その悪魔が、なぜか説教を垂れている。
簡単な話だ。あいつは、悪魔のふりをしていただけだからだ。
そう、僕は僕の意思で、
……学校をめちゃくちゃにしてしまおうと思っていた。
そして今僕は。
「目を覚ませ。酔いに任せてなにを考えてやがる」
祐司はきっと、天使のふりをしているだけだ。
こいつには従えない。
僕は、僕は……
「うわあああああああああ」
気がつけば、祐司が吹っ飛んでいた。
僕の拳に、しびれるほどの衝撃を残して。
初めて、祐司を本気で殴っていた。
「あああああああああああ」
叫ぶ。
祐司は鼻血を出して、ぐったりと僕のほうを見つめていた。
その目は、戸惑いで埋められていた。
叫びながら、そんなことを観察している冷静な自分を、不思議に思いながら、
僕はさらに祐司に詰め寄っていた。
「こけろっ!」
その言葉と同時に、足に感じた衝撃。
僕は、そのまま勢いのまま祐司に飛びかかった。かかろうとした。
足は空を切り、僕は前のめりに、無様に倒れた。
衝撃が棚に伝わるのを、僕は感じていた。
「ば、バカ!」
祐司の切羽詰った声。
視界の端で、上から瓶が落ちてくるのが見えた。
視界が急に真っ暗になった。
同時になにか重いものが、背中にのしかかる。
バリィンッ
瓶が、割れた。らしい。
僕にはなんの衝撃も無く。
ただ、上から荒い息遣いが聞こえるだけだ。
「おい、修一」
上から声が聞こえる。
「バカな真似は、するな」
僕は。
僕は、それでもやっぱり。
祐司の言うことに抗いたい気持ちが、あって。
それでもやっぱり、祐司が本気で言ってる事もよくわかって。
目が熱い。
「いいことを思いついたぜ」
ふと、祐司が言い出した。
「お前は少し、頭でも冷やしてろ、バカ」
僕は、頭を冷やすどころではなく、ただこの状況で流れ出した涙を止めるのに必死だった。
 
 
落とした瓶は僕のバイト代から弁償することになった。決して安い酒ではないが、幸いにも一ヶ月分無くすだけで済むようだった。
ハタさんは、苦い顔をしていた。この件について、いろいろと思う事があるようだ。僕は簡単に、友達のいたずらに腹をたてて自分で割ってしまったと説明した。
もちろん、その友達については何も話してない。
 
 
月曜日。
僕は、職員室に呼び出された。
「なんですか?」
そう言った僕に、答えたのはバーコードで皆に馬鹿にされている、捻くれものの教頭だった。
僕に告げられたのは、停学処分。1週間。
祐司の両親から学校に連絡があったらしい。非は祐司にもあるはずだが、なぜか僕だけが罪に問われる形になっていた。
まぁ、それも不思議ではない話だった。
なぜなら、祐司は僕をかばう時に結構なケガをしていたから。
 
「この場がばれたら、お前はバイト続けられなくなるだろ」
祐司はそう言った。
「だけど、その代わりのことは覚悟してもらうぞ」
僕は、まだ熱い目元に腕を当てたまま、無言で頷いた。
 
つまり、この停学処分こそが、祐司の言った「代わりのこと」らしい。
祐司の性格からして、ただでかばいっぱなしにならないだろうとは思ったが、さすがにまさかと思った。
ただ、僕はこの手のトラブルには慣れていたので、
「そうですか」
と、特に驚いたような反応もせずに返した。
祐司は今日、学校を休んでいた。
なんでも、傷口は縫合しなければならず5針ほど縫ったそうだ。
僕は祐司に申し訳ない気持ちを持っていいのか、まずそれを悩んだ。
そして、愕然と気づいた。
これから1週間、家に拘束されるという事実に。
僕は悟った。
やっぱり祐司は、悪魔なのだと。
悪魔は、その身を傷つけた代償に、僕に最悪の事態を押し付けてきたのだと。
 
 
停学処分中は、当然ながら自宅謹慎。
僕は休みと名のつく日は、ほとんど外にでかけていた。
家の中が一番つらいからだ。
それが、自宅謹慎である。しかも、親にはすでに連絡をとってあるという。
そしてすぐに、帰宅させられた。
僕は今、玄関の前にいる。
それは、僕にとっては地獄の門に等しい。
そして実は、聞こえてきている。玄関の外まで。
母さんの、泣き声が。
このまま逃げてしまいたかった。しかし、担任は昼過ぎにまた確認の連絡を取るという。
逃げるにしても、せいぜい1時間ぐらいが限度だろう。それをしたところで、また遅れた理由を追求される。
僕は腹をくくって、家の中に入った。
「ただいま」
いつも通り、控えめの声で言う。
その瞬間、母さんの泣き声がぴたりと止まった。
それは、今までなかったことだ。
帰って来たのが僕だとわかっているのに、泣き止むなんて。
僕は胸騒ぎを覚えた。
「母さん?」
「近寄らないでっ!!」
ヒステリックな声が聞こえた。
その言葉が、まず頭で認識されなかった。
「…母さん?」
「……来ないで。近寄らないで…っ!!」
僕は、居間を覗き込んだ。
母さんは、母さんの表情は。
とても、怯えていた。
その怯えは、なにがもたらしたのか。
僕だ。
その人は、僕に怯えていた。
同級生を血だらけに傷つけた、僕を。
暴力を振るうしか能が無い、自分の夫と同様に。
怯えていた。
再び、泣き出していた。
叫んでいた。
「あんたなんか……あんたなんか育てなければ…っ!!」
その言葉を聞いて。
僕は、妙に納得してしまった。
そうだよ、あんたなんかには僕だって育てられたくなかったよ。
僕だって、僕こそ……
「あんたの子供になんか生まれてきたくなんてなかったよ…っ!!」
叫んだ。
僕は、叫んでいた。
僕は走り出していた。
自分の部屋にいれば、少なくとも今は。
今は乗りこせるから。
 
 
布団に包まっていた。
制服を着たまま、5時間。
もう、5時間。昼食もとらないまま。
電話の音が小さく部屋まで響いてきた。
そして、急に
「ひっ!?」
母さんの引きつった短い叫びが聞こえた。
僕は思わず布団からでて、耳を澄ましていた。
「す、少しお待ち下さいっ!」
母さんの声は、涙声に近いものだった。
母さんの足音が急いで僕の部屋の前まで近づいてくる。
だけど、止まった。
開けたくないのだろう。僕だって顔はみたくなかった。
「受話器、そこに置いて」
僕はそう言った。
息を飲む音がした。
ことんっ、と小さな音がして、そして足音が急いで遠ざかっていく。
その足音の立て方は、まるっきり親父と遭遇したときと同じようなものだった。
ドアを開ける。
僕には、その電話の相手がわかっていた。
だからまず第一声は、
「悪魔め」
「感謝しろよ。お前の居場所を守る選択をしてやったんだ」
それは、あのバイトのことをさしているんだろう。
確かに、僕にとっての唯一の居場所があそこだ。学校だって居やすくはなってきたが、それでも僕にとって本当に楽しい場所などでは全然ない。
唯一くつろげて、唯一楽しめるその場所は。
確かに、守られたのかもしれない。
「つまり、僕にしばらく耐えろと?」
「俺だって、無傷だったらなんでもないけどな。まさか病院に行って5針縫うのに理由をなにも説明しないわけにはいかないだろ。アルコール入ってるのを誤魔化せただけでも大したもんだと思ってくれ」
「だからって……!」
「お前、家族と自分から会話しようとしたことあるか?」
ない。
当たり前だ。
「それがどうかした?」
「いい機会だろ」
アホか、こいつは。
僕の家族がそんな状況じゃないことはわかってるはずなのに。
「なにを言って」
「聞け。俺はお前の考えてる事があのときわかっていた」
それは、きっと。
僕自身も認識しただけで、言葉に出してないことだ。
それを、こいつは口に出そうとしている。
「やめて。言わないで」
「お前、犯罪でもして少年院にでもいくつもりだったろ。そのためには軽犯罪じゃ済まないよな」
僕は。
僕はそんなことを考えていたのか。
そうだ、確かに。考えていた。
それで、祐司は、
「それとこれとなにが関係あるの?」
「話せ。まずはそれからだ。お前は今、なにをしてもおかしくないと見られている。だからこそ、今しかチャンスは無い。普段のお前は、完全になめられきってるだろうからな」
何が言いたいんだこいつは。
「話してどうなるのさ。なにを話すのさ。なにが変わるのさ、この状況で!」
「変わるさ。なにせ、お前がなにかをしたくなった時に、お前は絶対に家族とは話さない。勝手になにかとんでもないことをやるだろう」
当たり前だ。
「だけどな、そんな状態にあることを家族が知ったらどうすると思う?」
どうもしない。
父親は殴り、母親は泣き、妹は逃げるだろう。
「それこそ、意味がない。僕の家族を知っているだろバカ祐司」
「口の聞き方に気をつけやがれクソッタレ。お前は加害者、俺は被害者。指令を出すのは俺で、お前は実行する下っ端だ。おとなしく『イー』とでも言え」
ふざけた話だと思う。いつものことだけど。
本当に、祐司の意図がわからない。
「今回は、はっきり言おう。俺はお前を裏切る。良い意味でな。なにをどうしたところで悪いようにはならないはずだ、結果だけは。それが俺のシナリオだ」
「祐司、まだ酔ってるだろ」
酔ってる。自分に。
演劇の脚本家気取りだ。そんな段取りがうまくいくとは思えない。
「お前は乗るか、乗らないかだけ言えばいい。乗るといえば、最後まで付き合ってやろう。それがお前の望む結果とも限らないが、少なくとも今よりはマシだ。乗らなければ、俺が思うにお前は今より酷い状況におかれる」
「今より酷いって、なんだよ」
「今より酷い状態だ。想像できねぇだろ。だからやめとけと、俺は言う」
わけがわからない。
しかし、今回の祐司は少し違う。悪魔であることを、半ば放棄している。
それは僕に付け入るための演技か。きっとそうだろうと思う。
ただ。
今僕にできることなど限られている。
「俺の余興に付き合ってみろ。案外いけるかもしれんぞ」
僕は黙った。
真剣に考えようとするが、思考はまとまらない。
こいつは手の内を明かしてない。それがこいつのやり方だ。
だから、判断材料などない。
乗るか、乗らないか。
祐司は信用してはならない。そういう存在だ。
だから、奴は言った。裏切ると。
そして言った。良い意味で裏切ると。そのよい意味すら裏切られたら、僕の負けだ。
ここで無視してみたらどうだろうか。
僕は、このままではいかないだろう。いくかもしれない。どっちにしろ、僕は僕の望まぬことになる可能性は、確かに低くないのかもしれない。
祐司は、祐司だ。
「乗る」
僕は答えた。思考がまとまりきる前に、反射的に出てきた言葉をそのまま出していた。
「そうだ、それでいい。お前の分岐点、俺がもらう」
不愉快なやつだ。
本当に、自分がなんとでもできると思っているみたいだ。
「簡単だ。方法を教えてやろう」
僕は再び悪魔の声を聞く。
あのときのように。
「一人ずつ納得させるんだ、お前の存在と考えていることを。そのための手段は問わない。言葉を聞かなければ、無理矢理にでもいい。方法に悩んだら俺に電話しろ。別に難しいことをやれとは言わない、最初は話し合いでいいんだ。それも全員だから、まずはやりやすい妹からやるんだ。簡単だろ?」
「はぁ?」
「なんでもかんでも派手に一気にやれると思うな。地道にやれ地道に」
「……まさか祐司の口から地道なんて言葉がでるなんて」
「うるせぇ。いいからやれ」
僕は期待してたのかもしれない、ぶち壊すことを。
あの日、あの学校に舞った花火ですべての日常が壊れたように。
それが、まさかこんなことを言い出すとは。
「納得させるって?」
「まぁ、とにかくこれから先どうするか、とかだろう。俺が決めることじゃねぇよ」
確かにそうなのだけど、僕だってわからない。
祐司の意図もよくわからない。
「妹はできるけど……母さんは無理。親父に至っては、会話なんて成立するはずもない」
「手段は問わない、と言ったぞ。いいから妹終わったら報告しろ。そしたらその時考えればいい」
どうやら、今回の脚本はそれをやらねば進まないらしい。
仕方ない、か。
「……まぁ、妹だけならなんとか」
「よし、じゃあやってこい。切るぞ」
「あ、ちょっと!」
「なんだよ?」
「……これで本当になんか良くなるの?」
「それはお前次第の運次第の展開次第。じゃあな」
ぷつっ
電話があっけなく切れた。
 
 
夕食時、僕はしぶしぶ部屋を出た。
父親は一緒に食事を取らない。取れるわけも無い。
いつも3人で食べるのだが、母さんは僕を見るなり居間を出て逃げ出してしまった。
机の上には二人分。それでも、用意されてるだけでもマシと思ったほうがいいのかもしれない。
それに、今は好都合だ。
妹が来た。名前は絵衣、僕の3つ下だ。
無言でいつもの場所に座るが、母さんがいないことに気づき、
「お母さんは?」
僕は少し息がつまり、でも答えた。
「一緒に食べたくないみたい」
「……」
それ以上、関心なさそうにすると、お茶をついで、小さく
「いただきます」
とだけ呟いた。
僕もそれにならって、いただきますと言ってから食べる。
いつも通りの無言の空間に、母さんだけはいない。
でもそれすら、特に強く指摘しようとも思わない。僕はもちろん、妹も。
「あのさ、絵衣」
「ん?」
「僕、今停学処分食らってるんだ」
その瞬間、絵衣の目が見開かれた。
少し怯えた顔で、引け腰になりながら、
「な…んで…?」
「友達と派手に喧嘩して。僕が一方的に結構大きなケガ負わせちゃったから」
本当は喧嘩らしい喧嘩はほとんどしてない。
そもそも、あいつを友達と呼ぶかどうかというところに検討の余地がある。
絵衣は、それを聞いてさらに怯えたようだ。
僕から離れたいような素振りをみせながら、しかしどう動いていいかわからないようでもぞもぞとしている。
「実際のところは、あいつ僕をかばって勝手にケガしたんだ。で、バイト先だったから、学校にばれたらやばいだろ」
それを聞いて、
「あ……」
絵衣は少し、安心したようだ。
そして、ふと気づいたように
「お兄ちゃん、友達いたの?」
「……できた、と言ったほうがいいかな。もうそろそろ半年になるけど、転校してきたやつさ」
あ、と小さな声をあげて
「もしかして、あの花火事件の?」
「うん」
「そっか」
あの大騒ぎはしっかり小学校のほうにも伝わってたらしく、しばらくは妹もいろいろと言われたようだ。
おかげで睨まれたりもしたけど、今はそんなでもないらしい。衝撃的な事件ではあったろうけど、人の噂は長続きしない。
「こうやってお兄ちゃんと話すのも、ひさしぶりだね」
「そうだね」
とはいえ、それ以上会話が弾むわけでもなく。
ただ、食事を続ける。
ゆっくりと食べ、食べ終わると。
「あとで、またちょっと話したいけどいい?」
「え? う、うん」
「じゃあ、あとで部屋行くよ」
僕がここにいると、母さんは居辛いだけだろう。
もっとも、僕が去ったからといってすぐ妹と一緒に食事、ともならないだろうけど。
(あんたなんか……あんたなんか育てなければ…っ!!)
そう言った母親をまだ気づかってる僕は、少しおかしいかな、と思う。
不意にこみ上げた悔しさを、自分の膝を殴りつけて抑える。
じんじんと響く痛み。大丈夫。
僕は部屋に戻った。
 
ノックする。
「ど、どうぞ」
絵衣の少し緊張した声。
それもそうだ、僕がこんな形でわざわざ話をしようなどと持ち込むことなんか、今までなかったから。
「入るね」
そういえば、妹の部屋に入るのも久しぶりだ。
女の子の部屋としては飾り気のない部屋。小遣いを貰う事もないし、買ってくれる事もほとんどないのだから当たり前だ。
古いぬいぐるみが、今も大事に飾られている。
「えっと、ど、どうしたのお兄ちゃん?」
「あぁえっと……」
なにから話したものか。
「さっき言った僕の友達。あいつといろいろとバカなことやってきたんだけど」
そういう話をしていいのか、と思わないでもない。
でも、あんまり絞って話そうにも話せそうにない。
「そいつと話しててさ。僕が先のこと考えてるなら、家族にも話してみろって。少しは変化あるかもしれないぞって。あまりそうは思わないけど、一応あいつの言うこと聞いても損はしないかな、なんて思ってさ」
「へぇー…まぁ、やっぱり人に言われてなんだね」
う。
痛いところを突かれた。
実際、その通りなのでなにも言えない。
「なぁ、絵衣。母さんのへそくりのこと、知ってる?」
「知ってる。お母さん、隠しとおしてるつもりだろうけど、あたしたちにはバレバレだよね」
「うん……そして、もう溜まりそうなんだよね、きっと」
「やっぱり、そうかな……」
最近の母さんの挙動は、以前にも増しておかしいというか。
特にへそくり関係への警戒心はいつも以上に働いているようだ。
他にもいろいろあるけど、なんだかおかしい。あれはきっと、もうそろそろ家を出ようとしてるに違いない。
「逃げる、んだよね。この家から。あたしたちと、あの人から」
絵衣は親父のことを、いつも「あの人」と呼ぶ。父親として認められない存在であることは、僕も大いに同意だ。
「逃げ出せるもんなら逃げ出したい。僕も」
「あたしも。心残りなんて、ないもの」
古いぬいぐるみと、必要最低限のものしかない部屋。これが小学校高学年の女の子の部屋だと言われたら、普通の人は驚くものだろう。
僕には他の女の子の部屋はわからないけど、もっといろんなものがあるはずだ。
とはいっても、僕の部屋も一緒。漫画もなにも置いてない。でも、少しだけ増えた。バイトのおかげだ。
「中学卒業したら、僕はすぐに家を出て行こうと思ってる」
「そうだよね。そのほうがいいよ」
寂しいなどとは口にしない。一緒にいた仲間だけど、仲間だからこそ、この地獄に留めようとは思わない。
「だけど、母さんが抜け出すならもう、時間もないのかもしれない。クソ親父と3人で生活なんて考えられないから」
「……お兄ちゃん、あたしね」
少し泣きそうな顔をして、絵衣は僕の目を見て言った。僕と同じく内気気味の絵衣にしては珍しいことだ。
「あのね、あたし。友達がいて、そのご両親とも何度も会ってるの。あたし、つい言っちゃって。そしたら」
絵衣は、そこで口をつぐんだ。
涙が一筋、目元からこぼれ落ちた。
「そしたらね、そしたら……あたしの部屋、用意してくれたの……」
次の涙が反対側の目から筋を作って、滴る。
絵衣の涙の意味はなんだろう、と僕は思った。
「あたし、断ったの。そんなのって。でも、でも……!」
僕は悟った。
絵衣には、居場所があるんだ。
本当の居場所を用意してくれる、優しい人がいる。
「いつでも来ていいから、って。あたしのために……空いてる部屋だからって、あたしの部屋を……!」
絵衣は泣いていた。
そんな風に泣ける絵衣が羨ましかった。可愛く思えた。
絵衣は、歪んでいない。
僕とは違うんだ。
それがとても、嬉しかった。
「う…くっ……ひっく……」
歪んだ僕は、君の兄ではいられない。
僕は、安堵した。
寂しさより、なにより安堵の気持ちで一杯だった。
絵衣は、大丈夫。これからもきっと、大丈夫。
この現実から解放されるのであれば。
「わかった、わかったよ。ありがとう、絵衣。言ってくれて」
僕は妹を抱きしめた。
何年ぶりだろう、こんなことをするのは。
絵衣が、僕の妹であった時期。家族が、家族だった時期。
遠い昔の話。
「ありがとう」
僕は、そういった。
きっと僕はもう、絵衣にこの言葉を言うことはないだろうな、と思いながら。
 
父親が帰ってくる時間になったので、部屋に引っ込んだ。
機嫌が悪い時は呼び出されるが、そうでなければ部屋にいればとりあえずは安心だった。
だけど、この日は少し様子が違った。
ドタン! っとドアが強く開かれた。僕は慌てて部屋の入口を見る。
そこにはよく知った男が立っていた。父親と言う名前の。
「おい、あいつはどこに行ったんだ?」
「え?」
あいつ。
母さんのことだろうか。
家の中で見当たらない? それはおかしい、夜に外出するような人じゃない。
「晩ご飯のとき、一緒に食べなかったよ」
「ふん」
僕のその言葉に、父親は鼻息を鳴らした。
「きにくわねぇな」
ドタン!
来た時と同様に、強くドアを閉めて父親は部屋を出ていった。
まさか、という思いが心を駆け巡る。
いくらなんでも、まだ早いはずだ。
母さん。
僕が引き金となった?
暴力沙汰で、息子が停学処分。
それは、父親と重なることだったに違いない。あの人にとっては。
だから……もう、逃げ出したの?
その時、遠くから声が聞こえた。
「お、おかえりなさい、あなた」
母さんは、まだいたのだ。
その後。
父親のわめく声を。
僕は頭からシャットアウトした。
……こんな生活。
そして、僕がなにもしなくても、じきに崩れるだろう。
だったら、やっぱり。
 
翌日。
母さんが外に出かけるのを見計らって、僕は祐司の家に電話した。
もしかしたら、もう学校に復帰していていないかもしれないと思ったけど、出たのは祐司だった。
「あ、お前か」
「僕だよ」
「で、どうなった?」
「妹とは話した。母さんはもう、すぐにでも家を出てもおかしくない状態。親父は気が立ってる」
「はん、なるほど」
「昨日なんか、母さん出て行ったと思ったよ。結局は、いつも通りの感じだったけど……」
「もう、そんな状態なのか」
祐司はどうシナリオを書いてるのかわからない。
だけど、これ以上乗り続けられるかは僕には未知数だった。
「祐司」
「まぁまて。妹との話でわかったことは?」
それは、もちろん。
「妹には、居場所がある。ちゃんとあったよ。そこなら安心できるし、むしろ今の状態から解放してあげるほうが先決だって思った」
「……お前はそういう風にしか考えられないのかよ」
「祐司。祐司は僕の家に住んでるわけじゃない。ドラマとか、漫画とか、小説とか。あるいは演劇もか。そういうのを見てるだけ。筋書き通りに仲良しこよしでハッピーエンドにでもなると思ってるの?」
「……そうなってくれないと、困るだろ」
珍しく、祐司は落ち込んだように言った。
祐司は……いや、祐司が望んでいるのが。きっと理想だろう。でも。
「祐司の策、聞かせてくれよ。僕の考えも言うから」
「別に策ってほどのもんじゃねぇよ。引っ叩いてでもまともにさせるってのが俺のやり方だ。前のあれと同じ」
脳裏に、あの日の光景が再生される。
僕は、全てを壊そうとした。その結果、この悪魔に騙された。
極彩色の花があちこちで火を吹き。輝く校舎と、それに驚き喜ぶ皆の姿。
僕はそれから、学校でも居れるようになった。
騙されて、それがよかったのかどうか僕はわからない。
だけど、もし祐司がいなければ。
こうはなってなかっただろう。きっと。
単純に、僕はなにも考えず。何も見ず、何も聞かず、ただその場その場を過ごす。
それが、バカなことに今じゃ頭を使って、なにかをしようとしている。
しかも祐司以上にろくでもないことだ。
あいつとは、目的が違う。
「僕は……」
言葉を止めた。
言葉をまとめるために。
口が紡ぎ出す。
「僕にできることは、やっぱり前と同じだよ」
しばらく、僕は間をおいた。
電話の向こうの、祐司の曇る顔を想像しながら。
「壊す。今度こそ。僕を閉じ込めてる檻を壊す」
「どうやって?」
「派手にやっちゃえばいいと思うんだ。あの時と同じだよ。ただ……」
「ただ?」
「今の僕は、お前に従うような存在じゃない。偽悪魔の支配は終わったんだ」
僕はきっぱり言った。
そうだ、もう僕は。
僕自身が、道を外れた存在になったのだから。
「おい」
「もう、無理だよ。僕にできることは二つ。流されるままに破局を迎えるか、僕が終止符を先に打つか」
「バカ! そんなことしてどうなるっていうんだよ!」
「別に? 僕にとっては、今のほうがよっぽど地獄だから」
「そんな……」
「大丈夫。僕の家族も、本当はそれを望んでいる。一緒にいちゃいけないんだ、僕の家族は。だって、もう家族じゃないのだから」
母さんは家を出たがってる。妹には居場所があって、一緒にいたいなんて別に思っちゃいない。親父は家族がうざったくて仕方ない。
僕は? 決まっている。もうまっぴらゴメンだ。
ほっといたらバラバラになるか? そんなことない。
例え母さんが抜け出したとしても、僕らはあのクソ親父と一緒にいなければならない。それは、今まで以上に耐え難いことだ。
だったら。この手で。
全てが片付くようにしなければならない。
「あのな。俺がそれを聞いて許すと思うのかよ?」
「僕は、僕の考ええた一番誰もが幸せになれる方法を考えたつもりだよ」
「おい、修一。本当になにを考えてやがる、お前は」
僕は黙った。
具体的な方法も思いついてはいる。
けど、
「聞いたら、祐司にも迷惑かけるだろ」
だから、言っても仕方ない。言わない。
その時、受話器から聞こえてきたのは、
「くっくっく」
笑い声。低い、笑い声。
「はん。俺も落ちぶれたものだな。まさか、修一に気を使われるとはな」
「な、なんだよ」
「余計なお世話だ馬鹿野朗。誰のおかげでそうなれたと思ってやがるんだ。いいから話せ」
人がわざわざ気づかってやってるのに。
こいつは、いつもこうだ。
踏みにじってくれる。なにもかも。
「余計なことを言っても、裏切るだけだろ」
「裏切る? すでに裏切っただろ、お前が。俺がいまさらどんでん返ししてもな」
「僕が?」
「諦めてるだろ、もう」
「諦めてるんじゃないよ。これが、一番なんだ。ハッピーエンドなんて幻想はやめなよ」
祐司は、学校の僕を知っている。
でも家にいる僕を知らない。
そして、あの父親を知らない。せいぜい、噂程度に知ってるだけだ。
「もう、いい加減にして。これ以上、言っても平行線だから」
「ふざけんなよ。いいか、お前」
「なに? この後に及んでまだ何か言うつもり?」
「……」
祐司が黙った。
あいつは、全て演じるキャラでしかない。
台本があって、台本でしか動けない。
そして、台本というのは都合よくシナリオが進むものだ。
「お前は、変わったな」
「祐司のせいだよ」
「けっ。ほっときゃよかった」
僕は僕なりに感謝してはいる。
何も知らなければ、そのままでいられた。だから、それはそれである意味ではよかったのかもしれない。
ただ、今の僕は絶対に昔になんか戻りたくないし、今のこの状態を続けたくないし、酷くなんかしたくない。
だったら、僕は行動を起こすしかないんだ。
「おい」
祐司が今までに無く、声を潜めて言う。
真剣そうな声。
「手伝わせてくれ。それが俺の責任でもある」
「手伝う? なにをどう手伝うのさ?」
「派手にやるんだろ? なら俺の力は使えるんじゃないか?」
それは。
別に使う必要はないけど、確かにそうかもしれないと思う。
でも。
「巻き込むことになるよ」
「誤魔化す方法なら知ってる。お前より、よっぽどその辺は頭が回るぞ」
「裏切らない?」
「お前は俺の台本が崩れたと言ったよな。だったらその通りだ、俺がなにかできる余地などあるものか」
祐司が、悪魔が、そう言っても信用できるもんじゃない。
だけど、僕は信用しようと思った。
たった一人。こんな話を真剣に聞いてくれるやつだから。
「じゃあ、言うよ。方法を」
 
 
電話を切った。
母さんに言っておく事があった。
僕は、部屋に戻った。
買い物にでかけたはずだ。まだ、家を去ってないはずだ。
そう信じる。
今、母さんに出られてしまったら、僕の計画は潰える。
僕は、待った。特にすることもないまま。自分の部屋で、じっと待った。
昼頃になれば戻るかとも思ったけど、戻る気配はなかった。
2時。いい加減腹を空かせたので、食卓へ。
カップ麺が置いてある場所を見ると、かなり買いだめされていた。
やっぱり。
もしかしたら、という思いを切り捨て、僕はやかんに水を注ぐ。
その時、玄関から音がした。
「ただいま」
聞こえたのは、母ではなく妹の声だった。
「あれ、絵衣?」
問う僕に一瞬驚く絵衣。
……まぁ、普段はまだ帰ってない時間だしね、僕。
「そっか、いるんだよね。うん、今日は短縮授業だったの」
「そうなんだ」
火をつける。
「あれ、お兄ちゃんお昼ご飯まだ食べてなかったの?」
「うん。お母さんが朝からでかけっぱなしで。僕になんにも言わないでそのまま、さ」
「……」
思いは同じだ。
元々出る気だったあの人が、僕の騒動で余計にすぐにでも出たいと思ってるに違いない。
でるなら親父の居ない、昼間を選ぶだろう。
絵衣はランドセルを置いて、食卓の自分の席に座った。給食は食べてきたはずなので、僕に付き合うつもりなのだろう。
でも、僕も妹も無言だ。
無言のまま、ヤカンだけが急にぴーっと音を鳴らし、僕は火を止め、カップ麺に注いだ。
3分。
開ける。
「お兄ちゃん」
僕が箸をつけようとした瞬間に、
「なにを考えてるの?」
絵衣は問いかけてきた。
「悪いようにはしないよ」
「うん、でも」
「いいから。聞かないで」
言えるようなもんじゃないし、なにもさせられない。
妹に何かを伝えるのは、最後でいい。
ラーメンをすする。
絵衣は、黙ってその隣に座っていた。
「あたし、でかけるね」
「なぁ、この前言ってた友達。なんて名前なんだ?」
「倉本智恵ちゃん」
「そっか」
倉本。倉本。
どっかで聞いた名前だ。
というか。
「ちょっと待って。倉本?」
良く知ってる。
「半年ぐらいまえかな。こっちに引っ越してきたんだよ」
僕は。
ようやく、祐司が、倉本祐司がうちの内情に詳しい理由を悟った。
きっとそれで、なおさら僕に興味を持ったんだろう。
確認の意味を込めて、いくつか聞く。
「……ねぇ、その子お兄さんとかいる?」
「いるよ。あれ、なんで知ってるの?」
「話した事は?」
「何回かあるよ」
「僕のこと、話した?」
「ううん、それはあんまり」
あれ。
「そのお兄さんの名前は?」
「祐司さん」
やっぱり。
でも、僕の家の事情はともかく、僕個人のことはあまり妹からは聞いてないようだ。
なのに、なんでバイト先がわかるんだ。
そこは調べた、ということなのか。でも、僕のバイトを知ってる人間なんて、絵衣以外にはほとんどいないはず。
「知ってるの?」
「あいつのことなら、よく知ってる」
「そういえば、祐司さん中学生だもんね」
「一時期は隣の席だったよ」
「そうなんだ」
どういう偶然かは知らないが、つまりそういうことなんだろう。
祐司は妹から情報を得ていた。多分、あいつのことだからさりげなく聞き出していたんだろう。
きつく口止めしてあるバイトの話も、遠まわしに聞き出せたのかもしれない。なにせ、絵衣はうちで育ったとは思えないぐらい素直な子だから。
素直。
ある意味、僕も素直というか、従順な人間だった。
今の僕は、どう表現すればいいのだろうか。
「じゃ、行ってくるね」
「倉本の家?」
「うん」
「祐司に言っといて欲しいことがあるんだけど」
「なに?」
「もうバイト先来るなって」
「え? えぇっ!?」
混乱する絵衣を無視して、僕は部屋に戻った。
玄関のドアが閉まる音は、絵衣の残したもの。
 
だったはずだが。
もう一度、聞こえた。
忘れ物かな? と思ったが、違う可能性に気づく。
ぼそぼそ、と聞き取れないような小さな声。きっと、ただいま、と言ったのだろう。
帰ってきた。
そろり、そろりと廊下を歩いてる様子が伺える。
僕は、いきなりドアを開けて、
「母さん!」
びくっと母さんは反応した。
こちらを向きたくないのだろう。まるで、お化けが居るように怯えて、そそくさと逃げようとする。
「母さん。話がしたい」
足がぴたりと止まる。
「寄らないで」
「じゃあ、このままでもいいから聞いて」
僕だって、別に近寄りたいわけじゃない。
あの人に、なにかをして欲しいわけじゃない。
ただ、僕たちをそのまま地獄に突き落として欲しくないだけだ。
「待って。うちの文化祭が終わるまで待って。そしたら、いいから」
「……なんのこと?」
しらばっくれる。醜い老婆の声に一瞬聞こえた。
それは、それだけ。この人の苦労の重みでもあり、心の醜さでもあり。
…僕自身の妄想でもある。
「僕も、絵衣も知ってるから。母さん、なにしようとしてるか知ってるから」
「なにを言ってるのか、私には」
「知ってるから。だから、待って。それまでは待って。僕に言えるのはそれだけ。あと少しだから、待って」
「……」
「話はそれだけ。お願いします」
僕はもう、それ以上あの人のほうを見なかった。
未来の他人を。
 
聞くところによると。
3日目から、祐司は学校に出るらしい。
「祐司さんだったんだね、お兄ちゃんをかばった友達って」
絵衣の言葉に、僕は頷きだけ返した。
僕はこのまま、数日間を過ごす。
行動の計画を練りながら。
親父は、なにか不安になっているらしい。僕も母さんも、不穏なことだらけだ。
ただ、母さんは親父に僕の停学処分のことは伝えてないらしい。
それがどういう考えで、どういう気持ちでそうしたのかはわからないけど、ありがたかった。
 
一週間がたち、僕は学校に行く。
「修一、お前どうしちまったんだ?」
学校につくや否や、タケが話しかけてきた。
「祐司があんなにケガするほどの喧嘩したのかよ」
「ほっといてよ、タケ」
「てめぇ、人が……」
睨んだ。思いっきり。
気迫の欠片の無かった頃のそれと、今の僕のそれは違う。
それは、タケの態度でもわかった。
タケは黙って、離れた。
クラスで、僕は一人だった。
からかわれる事も無く、パシられることもなく。
祐司は僕に話しかけてこない。僕も祐司に話しかけない。
そんな学校生活を過ごした放課後。
「祐司」
「ああ」
僕と祐司は、初めて言葉を交わした。
そして、二人とも無言のまま、帰宅する。
お互いに、紙を交換していた。それは、計画を書いたもの。
計画の名前は、「Fire Mission」。
2つ目の計画は、静かにスタートした。
 
文化祭まであと、2週間。
祐司は忙しそうだった。やりとりは紙で行い、会話は必要最低限しかしない。
祐司を巻き込まないためには、この前の喧嘩を機に、僕と祐司の仲は直ってないことにしなければならない。
親しげに会話するなど、論外だった。
接触は最低限。同じ教室にいながらそれは、まさに喧嘩の真っ最中に見えただろう。
いつもにまして、僕にも祐司にも話しかける人は少ない。
意外なことに、タケは積極的に仲直りさせようとしているようだった。
タケ、変わったな。
変えたのは、祐司か。僕か。僕が変えたと思うのは、思いあがりだろう。
そんなタケに対し、僕は適当にあしらっていた。時に、タケのことだからムキになってくることもあるが、頑としてうけつけなかった。
タケとも、もうお別れだろうな。
なぜか、少し寂しい気もした。それもそうかもしれない。
どんな形であれ、一番僕に関わり続けたのは、タケだから。
 
必要なものは、祐司が揃えた。
遊び心も含まれてるそれは、確かに僕単独では用意できなかっただろう。
ポリタンクを開けてみる。冬場によく嗅ぐ、その強い臭いは、確かに本物だ。
きっと、役目を果たしてくれる。
それらを、僕は当然のように自分の部屋に隠した。
部屋の掃除も、最近は母さんは完全に僕にするように暗に命じていた。
僕の部屋に勝手に誰かが入る事はない。
だから、僕は何も気にせず準備を続けられる。
メインイベントは、もうじき迫ってくる。
 
母さんは、僕を避け続けた。
親父は、なにも考えてないだろう。
妹は……、僕のしでかすことを、ただただ見守っている、というのが正しい。
なにかをしているのはわかっていても、口出すことはなかった。
それで、いい。
 
祐司は忙しそうだった。
二足のわらじ、と言えばいいのだろうか。
表ではせっせと、文化祭の準備に追われながら、裏で僕のほうに協力している。
日にちを文化祭にあわせたのは祐司だが、一体どういうつもりなのだろう。
都合がいいとも思えない。忙しいだけだ。
あえて可能性があるとしたら……。
僕に対する、なんらかの意図か。
きっとそれは。
祐司が、明かしたあのこと。演劇をしているという、それを僕に伝えたからで。
僕は、認めたくないけど。
あいつにとっても僕にとっても。お互いに。
友達、なんだ。
 
 
その日は、やってきた。
文化祭当日。
クラスの出し物は、適当な展示なので自由に行動していい。
ただし、時間内は学校からでてはいけない。
なので、僕は結局なにをするでもない。
学校では相変わらず仲直りしてないようにしてるので、祐司の手伝いができるわけでもない。
そして、タケの近くになどいたらトラブルも絶えない。
僕はひたすら人が多いところを動き回って時間を潰した。
そして、早めに体育館に入る。演劇部で、祐司がなにをやっているか見るために。
頭の中は、その後の中で一杯だった。
僕は。今日。
席に人が埋まり始める。
ふと、隣に座った奴が。
「修一」
と呼びかけてきた。
まさか、と思い慌てて振り向いた。
タケだった。
「なんだ、修一。そんな驚いて」
「いや……」
今ここで。祐司と接触したら今までの苦労が水の泡になる。
そのことを祐司もわかっているはずだから、来るわけもなかった。
「演劇、祐司が噛んでるんだってな」
タケ、余計なことを……
僕は黙っていた。
タケはしばらく、その様子を見て、
「なぁ、なんでお前らいつまでもそうやってるんだ」
「うるさい」
「……ちっ。胸糞悪いぜ」
うるさい。
僕はこのまま、全てを終わらせなきゃいけないんだ。
そのためには表面的には、祐司とは喧嘩を続行してなければならない。
邪魔をされてたまるか。
タケは、最後の最後まで僕の障害だった。
今の僕にとっては……タケが珍しく見せてる、その気づかいさえ障害なんだ。
演劇が始まった。
 
内容は、いかにもって感じのやつだ。
ヒロインがいて、主人公は戦争に出て戦わなければならない。
街が襲われ、ヒロインは奴隷として捕らわれてしまう。主人公は、国のために戦わなければならないが、愛ゆえにヒロインを助けに行く。
助けにいったその先にヒロインはおらず、しかし傷ついた人々を前に主人公は葛藤する。目の前の人間を助けるべきか、ヒロインをすぐにでも助けにいかねば。
結局主人公は、目の前の人を見捨てられなかった。そして、ヒロインはその頃、さらに敵の領土にまで連れて行かれてしまう。
それを知った主人公は決死の覚悟で潜入し、ついにヒロインと再会を果たす。
逃げる二人を追っ手が追う。そして、崖にまで追い詰められ。二人は身を投げ出してしまうのだった。
 
最後まで見終えて、僕はようやく気づいた。
祐司の演出が、半分も生かされていないことに。
それはなぜか。僕にはわからなかった。
祐司が演出したのは、最初のほうだけだった。真ん中を過ぎると、他の人がやったらしい風潮に移り変わった。
わかる。祐司の性格を知っているから、そんな演出のさせかたはしないと。
祐司は、これでよかったのだろうか。
そして、思い当たったのは。
僕のせい、か。
無理をさせたから、それで。なら、なんでこの日にしたんだ。
わからない。
祐司は珍しく喜んでいて、僕にそれを見せるぐらいだったのに。
なぜ。
それを、知る事は今はできそうになかった。
祐司の舞台は終わり、次は。
僕の舞台だ。
 
夕方の点呼が終わり、僕は家路につく。
そして、家に帰るとすぐにでかける。
その間に、祐司が密かに家の敷地内に入る手はずになっている。
さすがに仕掛けを僕単独でしかけるのは無理だ。
ある程度は知識を叩き込まれたが、それにしてもいろいろと複雑すぎる。
戻ってくると、作業をしている祐司の姿があった。
母さんは、今日は少し遅くまで帰らないようにお願いしてあった。
僕がなにを考えているのか。
それを、詮索する気は妹同様、ないらしい。
僕の家族は、そうなんだ。
お互いに不干渉。他人と一緒に住んでいる。その傾向は、日に日に強まって。
ただ不思議と。
妹とは、近づいてしまった気がする。
僕が妹に、心情を話すことなんて、なかったから。
 
「おい、修一」
祐司の声。
手が止まっていた。
ぼけっと考えてしまったようだ。
「なぁ、本当にこれでいいのか?」
「なにが」
「全て、全て燃やしておしまいか」
「他になにがあるっていうんだ」
僕は、灯油がたっぷり入ったポリバケツを掴んだ。
祐司は、軽くため息をついて、そして指示を出した。
「いいか、俺が引いた縄を伝わらせて、満遍なく撒け。偏らせると、そこだけ火が大きくなって台無しになる」
「わかった」
手袋をはめ、縄を掴み、縄の上に少しずつ垂らしながら移動する。
ただ灯油で濡らすだけならなんでもない作業だ。だけど、祐司が目指すのは最後の派手な一仕事だった。
「ねぇ、祐司」
「なんだ」
仕掛けをいじっている祐司に声をかける。
「演劇、なんで途中までしか担当しなかったの?」
「アレは元々、ああいう約束だったのさ」
「本当に?」
「ああ」
嘘だ。
なんとなく、そう思った。
祐司は、仕事を途中から断って他の人間に任せたのだ。
「祐司、やたらとこっちの件は細かい指示だしてたよね」
「だな」
「じゃあ」
「俺にとって、どっちが楽しいか。それだけだ」
楽しいといわれ、僕は……なんともいえない気分になった。
凹んだかと言えば凹んだし、反面、嬉さのようなものもある。
これは、一つのお祭り。
僕と祐司が成し遂げる。
二つ目の計画。作戦。ミッション。
そして今度こそ。
後戻りのできない、僕を解放する計画。
家族をばらばらにして、全員を解放する計画。
こうやって灯油をまいた以上、簡単に火は着く。火薬も灯油も確認した。
祐司が裏切ったとは考えられず、今度こそ全てが終わる。
そしてここまで来て、祐司が着火しないとは思えない。
ならば。
ここで終わる。家族が、終わる。
家族という名の他人同士の生活が。
「修一? 泣いてるのか?」
「泣く? 泣くわけがないだろ。僕にとって、今日は喜ばしい日なんだから」
「そうか」
そう。
これほどに喜ばしい日があるだろうか。
前のような憎悪にかられることもなく。
僕は、僕の考えたとおりに、やる。
それが世間で、どのような目でみられるようなことかはよく知ってるけど。
僕の家族には、これがきっと唯一の救いなんだ。
「できたぞ、ほれ」
祐司は、見覚えのあるそのボタンを寄越した。
準備が整った、ということだ。
僕の家を、燃やし尽くしてしまう準備が。
「あとは、お前の仕事だ」
僕は、それを握りしめた。
 
夜になった。
時間まで、あと少し。
僕は妹の部屋をノックする。
「なに?」
「行くよ。準備して」
「行くって、どこに?」
「この家を出る」
「え?」
「早く!」
僕はそのまま、母親の部屋に行った。
「母さん」
「……なに」
「今までありがとうございました」
「……そう」
「準備をして。もう、ここには居なくてもいいから。僕も、絵衣も」
「ありがとう」
母親だった人は、そう答えた。
絵衣は、準備をし終えていた。
「お兄ちゃん、本気? あの人、黙ってないよ」
「あんな親父がついてこれないように、僕達が自由になれるように、僕は準備してきたのさ」
大丈夫。絵衣は、これから倉本の家に住むことになるだろう。
僕はこれから……少年院行きだ。
世の中というものは便利なもので、僕が犯罪を起こしても、大人に比べて保護される。
もしかしたら、そこは世間一般で言う辛い場所かもしれない。でも、僕にとっては安らぎの場所になるはずだ。
「さ、行くよ」
「ま、待って!」
「なに?」
「……お兄ちゃんの荷物は?」
「僕はこれだけで十分」
小さなナップサックに、服が一着。それに、使い慣れた筆箱と手紙3通だけが入れてある。
「お兄ちゃん」
「絵衣、僕は一緒に行けない。これからは、別々だ」
「うん……」
僕はナップサックから一通の手紙を出した。
「あとで読んで。今は読まないで」
「わかった」
「じゃ、出よう」
外に出ると、そこにはまだ母さんが……母だった人がいた。
「今まで、あなたたちに苦労かけました。不出来な母でごめんなさい」
放心したような母の顔。
僕は黙って、手紙を渡した。2通。
「もう一通は渡せなければ、それでもいいよ。わかってると思うけど、ろくなこと書いてないし。母さん、ありがとう」
「お母さん……さようなら」
「絵衣、あなたは?」
絵衣は…しばらく黙っていた。
やがて、意を決したように口を開く。 絵衣にとっては、それもまた一つの罪悪感を伴うものなのだろう。
「あたし、新しい家族がいるの」
「そう」
母は、その人はただそう答えた。
「なにをしようとしてるか、知ってる?」
僕は二人に聞いた。
「わからないわ」
「あたしは……少しだけ予想つくよ」
「そっか」
僕は、斜め後ろを振り向いた。
そこの草の陰にうずくまる、誰か。祐司だ。
「こうするんだ」
全てを解放するために。
迷いはない。
僕はスイッチを押した。
 
 
 
 
光が、あふれ出した。
家中に仕掛けられた、花火。
それが一斉に着火された。
「えぇっ!?」
驚きの声をあげる絵衣。
そうだ、あの時と同じ花火。大量の花火が。
輝く、僕の家。燃える。もうじき、燃える。
咲き誇る、銀の槍は、天を目指しては力尽き。
青と赤にまみれた噴水が屋根から吹く。
たった二つだけ手に入れられた本格的な打ち上げ花火がそろそろ着火するころだ。
派手に彩られた、その家に周囲は大パニックになった。
心の中で数える。
4、3、2、1、0
ドヒュ~~ン
二つの弾がまっ直線に空へと打ち上げられた。
天に咲く、大輪の華。
ドンッ
二つの花火が綺麗に膨らむ。
そして、散っていく。
その花火が、きっと最後になる。
僕の家は。
 
 
 
 
 
 
家を見た。
そこには、まだ白く光る家があった。
……おかしい。
あれだけやれば、もうかなり灯油に火がついていなければならないのに。
光が収まっていく。
待て。
待てよ、おい。
待てったら。
僕は焦った。
なんで火がつかない?
燃えるはずが。
僕の家を燃やし尽くすはずの火が。
つかない。
その、可能性が。
また頭をよぎる。
「クワーッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャヒャッッ!!!!!」
ああ。
ああああ。
あああああああああああああっ!!!!
「また……また……」
振り向いた。
声の主は、いた。やはり居た。
倉本祐司。
裏切りの悪魔。
「また、お前かっ!!」
「ああ、そうだっ!」
ありえない。
花火で、火はつくはずだ。あれだけ巻いた灯油に引火しないはずがない。
「どうして……どうしてっ!!」
「説明しようっ!! 実はあれは灯油じゃなくて、灯油の臭いを出すために俺が必死に研究を重ねて作った、『灯油の臭いがする水』だったのだ!!」
悪魔のその答えに。
最悪の、その悪魔の裏切りに。
裏切った、と認識が追いつくと。
僕の頭は真っ白になった。
「ふざけるなあああああああっっ!!!!!!!」
拳を握る。殴る。
かわされた。
「うがああああああああああ!!!」
「落ち着け、落ち着くんだ、修一」
「ふざけるなっ!!!」
足を振り回す。
祐司に攻撃があたらない。
拳をぶつける。
アスファルトにぶつかる。
痛みはなかった。
「うおおおおおおおおおっ!!!」
「いいから落ち着けこのたわけっ!!!」
殴られた。痛くない。
拳が目に入る。潰れた拳から血が流れ出ている。気にならない。
殴る。今度こそ当たった。
さらに殴る。
「お兄ちゃん! やめてっ!!!」
妹の悲鳴も、それと認識するだけだった。
さらに拳をふりかざしたところで、その拳を止められた。後ろからだ。
振り向く。
振り向いた。
そこには。
「面白いことしてるな、修一」
父と、今まで父であった人間が、これから先、父……
……父親。
僕は、頭が飛んだ。
真っ白になった。
何も考えられなくなった。
拳が痛む。激痛だ。
僕は。
気がつけば、地面に座り込んでいた。
「とんだ茶番だったな」
なぜか父親はそれだけ言って、僕の腕を放り投げて放した。
僕には理解できる頭はなく。
ただ、なにも理解できず。
「お兄ちゃん……」
「落ち着いたか、修一」
最後の祐司の声にだけ反応する。
祐司が、そこにいた。
「まぁまずは、これを見るんだな」
それは、三枚の紙だった。
 
 
一枚目は、上のほうに「離婚届」
二枚目は、上のほうに「調査書」
三枚目は、上のほうに「養子縁組届」
 
「平和に解決する方法を、俺は必死に探したんだよ。必死に説得して回ってたんだよ」
僕には、理解できなかった。
「二枚目の調査書は、家庭内暴力や虐待なんかを調査したやつだ。△で、まだ×にはなってねぇからどうにもできないけど」
祐司は喋り続ける。
「親権を剥奪できないのなら、譲りうけるしかない。だから、俺はずっと粘ってたんだ。今朝、ようやくもらえたよ」
僕は。
書類をもう一回みた。
 
一枚目の書類は、両親の離婚を届け出るものだった。これは、よくわかる。
二枚目の書類は、僕の家庭を調査したものだった。僕の知らない間に、何度か調査員が訪問などもしたらしい。最終的に、虐待などで親権剥奪できるような状態にはない、と判断したようだ。
三枚目の書類は……僕の知識ではよくわからないものだった。養親、養子と書いてある。姓は、倉本。
 
「収めたぜ、丸く。お前の家族に解散しかないのなら、俺は俺のできることをするだけだ。お前を犯罪者になんかしたくねぇからな」
祐司は嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑ってた。
笑っている顔につられてなにか表情を作ろうとして、僕は自分の頬に流れていた涙に気づいた。
もう一度、僕は書類を見た。全ての書類には、すでに印が押されていた。しかも、市役所の印もだ。僕が持っているのは、そのコピーだった。
頭が追いつきそうで追いつかない。
「よし、もう一度ちゃんと説明してやろう」
祐司は偉そうに言った。
「お前の家族は解散だ。両親は離婚、それぞれこれからは別々の人生を歩むことになる。それを二人とも望んでる事は、俺が直接確認したし、書類としてこうやって形にしてもらった。そして昼に出してきてもらったのさ」
そうだ、それはいい。
「だけど子供はどうする。お前は犯罪を犯して、無理矢理家族を解散させようとした。妹については、優しくしてくれる人がいるからなんとかなるだろうと勝手に思ってな。それでお前の中では片付くはずだった。俺はそれが許せなかった」
許せないなどと、言われても。
僕にはそれしかなかった。なにもできなかった。
「だから、俺は俺のやり方を通した。うちの両親もその気があるけど、悩みに悩んでな。当たり前なんだけどな。でも最後は承諾してくれた。養子縁組、わかるよな」
「……他の人の子供になるってこと? 僕が?」
「そうだ。つまり、お前は明日から倉本家の一員だ。俺とは兄弟になる。なぁ、ブラザー。あ、もちろん絵衣ちゃんも一緒だぞ」
頭が。痛い。
なにを言ってるのか、わかるけどわからない。
まただ。またこれだ。
祐司の言う事は突拍子もなさすぎて、僕の頭じゃついていけない。
どういうことなのか、わかるけど、理解が追いつかない。
その時、腕を掴まれた。
「ふん。これで別れだ。お前も俺もせいせいする。それで、いいんだろう。家は売るからさっさと出ていけ」
それは、かつて父だった人物。その人間は、そう言って歩き去って行った。
あたりを見渡す。母だった人物は、こっちを見て、一礼すると同じように歩き去って行った。さっきの人とは、他の方向に。
僕の前には、祐司と絵衣がいた。
「いい加減立てよ。情けない」
「ねぇ、いいの? 祐司さん」
「いいのもなにも、もう全部手続き終わってるの。あと、さん付けはやめろ。お前も今日から俺の妹なんだぞ、妹」
「え、え……えーっ!?」
「全く、こいつら理解が遅くてかなわねぇ。おい、修一。修一」
「う、うん」
「行くぞ。ほら、さっさと家の中戻ってもてる荷物全部もってこい。お前と絵衣ちゃん、同じ部屋だけどいいよな」
「う、うん」
「じゃ、急げ。いつまでもこうしててもしかたねぇぞ。騒ぎが大きかったから、警察も来かねん」
それは厄介だな、と頭の中でちょっと思った。
力を足にいれる。拳が痛む。
「無茶しやがって、ったく。拳の治療は明日からうち持ちなんだぜ? 勘弁してくれよ」
僕は。
立ち上がった。
歩き出した。
理解が追いつかぬまま、しかし現実と未来は迫ってくる。
だから、歩いた。
 
 
 
 
「あれ、智恵ちゃん。絵衣見なかった?」
「あ、しゅーにい。絵衣ちゃん、さっきから探してたのに」
「いや、僕また祐司のやつに付き合わされてたからさ」
「ゆーにいったら、また。変なことたくらんでるんでしょ」
「それはあいつに聞いてよ。僕は説明したくない」
「もーー!」
ドタドタと智恵ちゃんが走り去っていく。
元気な子だ。絵衣が大人しすぎるのかもしれないけど。
「あ、お兄ちゃん」
「おう」
階段を上がったところで会った。
「お母さん……じゃないや。うん、あの母親から手紙きてたから」
「…そっか」
手紙を寄越すなんてな。どうせろくなこと書いてないと思うけど。
 
僕は部屋に戻った。絵衣も一緒だ。
二人で使うには少し狭い部屋だが、事実上の居候には勿体無いぐらいだった。
お養父さんとお養母さんは、僕たちを引き取ってから、すごく気を使ってくれて、居づらさも感じた。
それも、お互いに少しずつ慣れて、最近はもうそんなに気にしなくなった。
そんな折、届いた手紙。
あの別れた家族の、残り香だ。
読む。書いてある内容は、やはりあの人らしかった。
つまるところ、申し訳なく思ってる。その一点張り。
あの人はなんでそういうことが好きなんだろう。
父だったあの人からは、きっと今後一切こないだろう。今生の別れ。それでも、僕達には寂しさはなかった。
「あの頃が、嘘みたいだね」
絵衣が言った。
「そうだね」
本当に、倉本の両親はよく決心したものだと思う。
そして、祐司。どれだけ苦労したのだろうか、こうするために。
僕は安易にぶち壊すことだけを考えて。
あいつは、綺麗に纏め上げてしまった。
思う。正直、僕はあいつにはかなわない。一生頭が上がらない。
僕がこうしていられるのは、あいつのおかげで。
僕は。絵衣もだ。
僕達は、初めて家族の幸せを感じている。
どたどたどた。
ばたんっ
「絵衣ちゃん! しゅーにい!」
「なに? 智恵ちゃん」
「ゆーにいがなんかやるから庭出ろって。きっとまたろくでもないことだけど」
やれやれ。
「わかった、行こ!」
絵衣が見せる笑顔は、幸せの証。
兄弟だけど、兄弟になりきれてなかった妹とは、かなり距離がうまった。
智恵ちゃんともうまくやってる。もちろん、祐司ともだ。
もっとも。祐司のやつ、相変わらずろくなことしないけど。
 
階段を下りる。玄関で靴を履き、庭へ。
そこにある、花火の打ち上げセットをみて、僕はあの日を思い出した。
2度目の計画は、全てがやはり悪魔に裏切られた。
僕はこうして、平和の中に居る。
それが、実現しえないと思っていた世界。
僕は間違っていたのか。多分、あそこまでしなければ、祐司もああは動かなかっただろう。
そういう意味では、やって間違ってなかった。
でも、間違ってた。
今は、そう思う。
 
「僕の計画は、もう散々だね」
静かに、呟く。
いつかと、同じように。
「Fire Mission Failed」

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